山陽リレーコラム「平井の丘から」

岡山から台湾へ―高雄・逍遥園を訪ねて歴史を旅する 蘇紋槿
[2026年9月17日]

掲載日:2026年9月17日
カテゴリ:地域マネジメント学科
 2026年9月12日に、公開講座「観光地になる台湾の『逍遥園』~どのような物語が語られているのか~」を開催しました。台湾・高雄にある歴史的建造物「逍遥園」は、日本統治時代の1930年代に大谷光瑞によって建てられ、別荘、戦後の軍人の居住地、そして廃墟へと姿を変えてきました。一時は解体の危機に直面しましたが、市民や研究者による保存活動が行政を動かし、2020年には日台の専門家の協力によって再生されました。現在は、歴史を伝えるだけでなく、日本と台湾の新たな交流を生み出す場として活用されています。

 講座のテーマを決める際、最初はどのような内容にするか迷っていました。そこで思い出したのが、2026年3月、日本語教育の研修で高雄を訪れた東京女子大学の学生たちを逍遥園に案内したことです。

 近年、日本人向けの台湾への修学旅行も増えてきています。また、台湾の大学には、多くの日本人留学生や交換留学生が在籍しています。そうした中で、旅行会社が企画した一般的な台湾旅行のコースとは異なり、現地の人々だからこそ発信できる、より有意義で特色のある観光地や観光コースが求められているのではないかと感じました。
 今回の公開講座が終わった後、参加者の方からも、「旅行会社が作ったコースだけではなく、台湾ならではの観光地や、現地の魅力を感じられる観光コースをもっと紹介してほしい」という意見をいただきました。

 また、岡山桃太郎空港からは台北行きの直行便が毎日運航されているほか、高雄行きの便も週3回運航されています。そこで、皆様にもぜひ活用していただきたいものとして、「みんなの台湾修学旅行ナビ」をご紹介したいと思います。

 このサイトでは、修学旅行先として選ばれた台湾各地の観光地が紹介されており、高雄の逍遥園もその一つとして掲載されています。
 台湾の歴史や文化をより深く知り、現地ならではの魅力に触れる旅を考える際に、ぜひご活用いただければと思います。

岡山におけるイギリス連邦占領軍の記憶 菊池泰平
[2026年7月16日]

掲載日:2026年7月16日
カテゴリ:言語文化学科
 戦後81年を迎える今、貴志俊彦氏(ノートルダム清心女子大学)の著書『イギリス連邦占領軍と岡山:戦後直後の<幻の国際社会>』を通じて、終戦直後の岡山における知られざる歴史に触れました。

 占領軍といえばアメリカ軍を想起しがちですが、当時のアメリカ軍は人材・財政面から展開規模をすぐに縮小せざるを得ませんでした。それに代わり、武装解除や治安維持などの実務を担うため中国地方に入ったのが、イギリス連邦占領軍です。1946年初頭から各地の部隊が呉市などを経て展開し、同年6月から1949年2月までの約2年半、岡山にも駐屯しました。

 この軍の最大の特徴は「多民族・多文化」の寄せ集めであった点です。全3万7,021人の兵士のうち、英領インド軍が36.2%、オーストラリア軍が32.2%、イギリス軍が19.6%、ニュージーランド軍が12.0%を占めていました。岡山市に司令部を置いた英印師団には、ネパール中部の諸山岳民族で構成される「グルカ・ライフルズ」や、第30イギリス野戦砲中隊、第429インド野戦中隊などが駐留したそうです。例えば、旧陸軍飛行場跡(現・岡南飛行場付近)でメッカに向けて跪拝するイスラム教徒たち、街を行き交うターバン姿の兵士、軍事技術競技会に臨むオーストラリア兵などの姿が記録に残されています。

 また、1946年8月15日には、イギリス連邦軍主催で対日戦勝記念日(VJデー)が開催されました。日本人の国民感情を逆なでしないよう、岡山、呉、鳥取を除く地域では「戦勝」を打ち出したイベントは控えられ「終戦」や「再建」が謳われた一方で、岡山市では大々的な軍事パレードが決行されました。現市役所そばの大供(だいく)交差点や大雲寺付近に集結した部隊は、柳川筋を抜け、かつての岡山県師範学校女子部(現・市立岡山中央中学校)へと行進し、上空ではイギリス空軍機が編隊飛行のパフォーマンスを披露しました。

 しかし、1947年10月末に全英印師団が撤退してオーストラリア軍第34歩兵旅団と交代し、最後まで残ったニュージーランド軍も1949年2月までには撤退しました。同時にイギリス、インド、オーストラリアなどの海外メディアも「OKAYAMA」への関心を失い、約2年半に及んだ多文化交差の「国際社会」は幻のごとく消え去ったと結ばれています。

 現在、私たちは言語や文化の多様性について多くを学びますが、80年近く前の身近な地域に、これほど国際色豊かな空間が存在したことに驚かされます。足元の歴史を深く紐解くことは、現代を生きる私たちに思いがけない発見を与えてくれるのかもしれません。

<参考文献>
貴志俊彦(2025)『イギリス連邦占領軍と岡山:戦後直後の<幻の国際社会>』岡山:日本文教出版株式会社. 
※同書の内容は、RSK山陽放送の記事とニュース動画でも簡潔に紹介されていておすすめです。

地域経済学の視点から考える「地域」の価値 多田憲一郎
[2026年6月16日]

掲載日:2026年6月16日
カテゴリ:地域マネジメント学科
 私は今年(2026年)の4月1日より本学の教授に就任しました。「地域経済学」を専門とする研究者です。昨年より「日本地域経済学会」の会長も務めております。これから、この「平井」の地で研究や教育に励みたいと考えております。どうかよろしくお願いいたします。 
 さて、皆さんは、経済学にどのようなイメージをお持ちでしょうか。経済学は「市場」を分析対象とする学問ですが、需要曲線や供給曲線など、グラフや数式のイメージが強いと思います。もちろん、そのような手法の経済学もありますが、それが経済学のすべてではありません。私の専門とする「地域経済学」は、「市場」のみを分析対象とせず、「市場」を取り巻くコミュニティや文化などとの関係も視野に入れて「市場」を分析する経済学です。 
 注目される地域経済を調査しますと、経済活動だけでなく、コミュニティ活動なども活発であることに気づかされます。例えば、岡山県真庭市は「バイオマス」という地域資源を軸とした経済発展で注目されていますが、詳しく調査しますと、だんじり祭りという文化の土台があり、祭りにより形成された「人と人との絆」が地域に張り巡らされていることがわかります。地域経済の発展は、このような「非経済的領域」に規定されている側面があります。 
 本学の立地する「平井」を調べますと、この地域は全国に誇れる素晴らしい地域であることがわかりました。例えば、本学名誉教授の濱田栄夫先生のご著書『門田界隈の道―もうひとつの岡山文化―』を拝読しますと、本学周辺が福祉や人づくりの文化に溢れた全国でも稀有な地域であることが書かれています。この地域は本学の「宝」です。本学は、平井の歴史や文化などの資源を掘り起こして「新たな価値」を創造する知的拠点にならなければなりません。それは建学の精神とも重なり、本学の揺るぎない存立基盤となります。

子どもが教えてくれること 清水律子
[2026年3月24日]

掲載日:2026年3月24日
カテゴリ:言語文化学科
 これまで様々な年代の人たちの英語教育に携わってきましたが、幼い子どもと英語活動を行うときには今も驚かされることがよくあります。それは、子どもたちのことばに対する熱量とでも言うべきものでしょうか。英単語などを覚えるのに熱心だという意味ではなく、英語ということばに対して全身全霊で向き合い、その姿にある種の気迫を感じるのです。
 幼い子どもとの英語活動は全て英語で行いますが、戸惑う子どもはほとんどいません。彼らはごく限られた知識しかない外国のことば(英語)の世界で意味を汲み取ろうと、たくましい想像力と集中力を駆使してことばに食いついてきます。英語で話しかける相手(私)の身体全体の動きをなぞり、ことばが意味する形や動きを写しとるだけでなく匂いや感触まで感じ取ろうとしているかのようで、こちらも気を緩めることができません。子どもたちのために指導する側も身体全体でことばと関わることが求められるのですが、これが大人にはなかなか難しいです。
 子どもの心身の発達に伴い、こうした身体全体を使ってことばに迫る学び方は影をひそめていきます。別のタイプの学び方に取って代わられたり、そのうちことばとして外国語に向きあうことを忘れてしまったりする場合も少なくないように思います。一方で、表面には出ない形でことばの感覚を心と体に保ち続ける人もいます。あるいは、一度は忘れてしまった学び方を何かのきっかけで大人になって思い出す人もいます。この感覚を思い出すことで外国語の学び方が変わる人もいます。
 一緒に英語活動を行った子どもたちが今後どのように成長していくか分かりませんが、幼い頃に外国語に触れたことが、子どもたちの身体の中にことばを学ぶ感覚として残ってくれるのであれば嬉しく思います。

物言わぬ生き物たちとの生活で 大坂卓
[2026年2月10日]

掲載日:2026年2月10日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
 私の自宅には、猫やフェレット、爬虫類や外国産のクワガタなど、十数匹のペットたちがいます。日々の餌やりから飼育ケージの掃除など、やることも多いのですが、子どもも手伝ってくれるようになり、充実したペットライフを送っています。
 動物の種類にもよるのですが、彼らは当然言葉を発しませんし、理性の高低差もあって時には尻尾ではたかれ、爪で引っかかれ、またある時には噛みつかれそうにもなり、実にサバイバルな瞬間を体験することもしばしばです。
 そのような日々を過ごす中で思うことがあり、動物たちはみな「自分を映す鏡」ということです。自身がイライラしたりしているときは彼らも攻撃的になり、逆に穏やかな気分で対面すると驚くほどおとなしく、手の上で眠ってしまうこともあります。彼らに言葉は伝わりませんが、私自身の微妙な感情の変化に伴う接し方の変化を敏感に感じ取り、行動しているのだろうと思います。これは対人関係でも言えることであり、「他者は自身を映す鏡である」という言葉の通りだと思います。
 自身の感情コントロールは様々な場面でのパフォーマンスと、得られる成果に大きく影響します。日常生活であっても、仕事であっても、結局のところは「どれだけ人と人とがつながり続けていくか」が宝になると思います。
 物言わぬ生き物たちとの生活は大変ですが、これもまた自分の人生をより良いものにしていくための貴重な時間です。日々自分自身を見つめ続けながら、より良い教育・研究が実践できたら、と思っています。

地元の味から考える、食と農のつながり 大宮めぐみ
[2026年1月27日]

掲載日:2026年1月27日
カテゴリ:地域マネジメント学科
 みなさんは地元の特産品や農産物と聞いて、どのようなものを思い浮かべますか。
 このコラムを書いているのは1月中旬。お正月気分もすっかり抜けましたが、私の地元・広島県福山市には「くわい」という特産品があります。ミニトマトほどの丸い形に立派な芽が出ていることから正月料理に使われる縁起物として知られ、全国に出荷されています。
 一方で地元では、冬になると小売店の店頭に並び、普段の食事でも小ぶりなものを素揚げにして食べるなど、子どもの頃から身近な農産物として親しんできました。私も大好きな食べ物の一つです。

 現在、私たちの食事は生産・加工・流通といった長い過程を経て食卓に並んでいます。さらに、その約6割を輸入品に頼っているのが現状です。まさに食と農の距離は世界規模で広がっているのです。
 一方で、食と農を改めて結び直そうとして生まれたものが地産地消です。地産地消は、経済合理性や利便性を過度に追求してきた農業生産・流通そして食生活を見直し、地域で生産された農産物を地域で消費することを通じて、現代社会のあり方を問い直す取り組みでもあります。

 先日このテーマを講義で取り上げた際、まず直売所や地場産農産物の話をしましたが、学生たちはあまりピンときていない様子でした。しかし、代表的な取り組みとして学校給食の話題を出すと、地元の料理や農産物の名前が次々に挙がりました。実は、冒頭で紹介した「くわい」も学校給食で口にしていた食材の一つです。我が家は家庭でも出ていましたが、給食で食べた記憶がはっきりと残っています。

 食の経験は私たちの中に確実に根付いています。そして、その料理をたどっていけば農業やそれらを支える人々の営みがみえてきます。身近な食事を手がかりに、地域の農業や産業について、あらためて考えてみるのもよいのではないでしょうか。

<参考文献>
『食と農の経済学〔第2版〕-現代の食料・農業・農村を考える-』橋本卓爾ほか編著

認定病児保育スペシャリスト(アカデミック)という学び 脇本いづみ
[2025年12月17日]

掲載日:2025年12月17日
カテゴリ:こども育成学科
 今年度より、本学では「認定病児保育スペシャリスト(アカデミック)」資格の養成が始まりました。病気や回復期にある子どもを安全に、そして安心して預かる病児保育は、共働き世帯の増加や子育てと就労の両立が求められる現代社会において、ますます重要性を増しています。 

 私自身、これまで養護教諭として教育・保健の現場に関わる中で、体調を崩した子どもを前に、保護者も保育者も「どのように対応すればよいのか」「何を優先すべきか」に迷い、悩む場面を数多く見てきました。病児保育に求められるのは、単なる「預かり」ではなく、子どもの小さな変化に気づく観察力、保護者の不安に寄り添う姿勢、そして医療と保育をつなぐ視点であると感じています。 

 本講座では、子どもの健康と発達、感染症や慢性疾患への理解、保護者支援のあり方などを体系的に学びます。講義や事例検討を通して、学生たちは次第に、病気の子どもを「特別な存在」として捉えるのではなく、その子一人ひとりの生活や成長の延長線上で理解する視点を身につけていきます。
 授業後の振り返りでは、「これまで不安しかなかった病児対応が、整理して考えられるようになった」「保護者の気持ちを想像することの大切さに気づいた」といった声も聞かれ、学生一人ひとりの学びが着実に深まっていることを実感しています。 

 子どもが安心して過ごせる環境は、保護者の安心につながり、ひいては地域全体の子育て力の向上につながります。この講座での学びが、将来それぞれの現場で子どもと家族を支える力となっていくことを願っています。私自身も一人の働く親として、病気の子どもを安心して預けられる存在が地域にあることの心強さを、日々実感しています。

Food×Businessって? 岡本祐佳
[2025年9月25日]

掲載日:2025年9月25日
カテゴリ:健康栄養学科

現在、令和8年4月のフードビジネスコースの開設に向けて、健康栄養学科2年が集まり、大学祭で「大豆ミートのカレー屋さん」として、カレーとラッシーを販売するプロジェクトが始動しています。学生が夏休みも、レシピ考案などに取り組んでいます。今後店舗運営のための座席等のレイアウトやインテリアも考えていく予定です。

健康栄養学科でスタートするフードビジネスコースは、従来の栄養士としての学びだけではなく、ビジネスとしての学びを深めるコースです。

”ビジネス”を“食や栄養”と掛け合わせた時、商品(食品)を考案し販売するということになる構想です。これは、栄養士として給食を調理し、提供する経験とは少し異なります。

給食と異なる点を一部記載します。


1.商品を包装する必要があること

給食に包装はありません。包装するにあたっては、栄養士になるための学びを活かし、栄養成分表示やアレルギー表示を作成するだけでなく、販促のため、商品を手にとってもらい、購入してもらえるようなパッケージのデザインも考案する必要があります。

2.内装デザインの考案が必要であること(店舗飲食の場合)

栄養士が内装デザイン(お客さんのパーソナルスペースや座席数の確保など)に直接関わる機会は少ないです。学校給食は教室で食事をするため、食堂もありません。照明やBGMなど、お客さんにとって居心地の良い空間を作り出す必要があります。

3.集客の必要があること

給食施設(学校や病院など)は、特定の人が決まった時間に食事を行います。商品(食品)を販売するとなると、まず集客から始める必要があります。トレンドを取り入れ、情報発信する力が求められます。また、販促のため、ロゴを作るなど、ブランドを確立する必要もあります。


ここに記載したことは、学生にとっても私にとっても新しい挑戦で、日々わくわくしながら、一緒に考えながら、頭を悩ませながら、取り組んでいます。

今回、栄養面や衛生面に配慮し考案したものだと知ってもらいたいという思いで、健康栄養学科の学生が「給食cafe ひるやすみ」というプロジェクト名とロゴを考えました。「給食」=栄養が整い、安心安全、みんなの楽しい時間を作るもの、「ひるやすみ」=ほっと一息できるものというイメージを持ってもらえたらと思っています。カレーも自信を持って美味しいものが出来上がっていますので、是非大学祭(10月25日、26日)にお越しください。限定100食の販売予定です。

給食cafeひるやすみ_はなみずき祭チラシ

勉強するならどのプログラム言語? 古川徹
[2025年8月28日]

掲載日:2025年8月28日
カテゴリ:ビジネス心理学科
 ここでは、多少の経験を踏まえてお話をさせていただきます。私のプログラム言語学習の変遷を少し述べれば、スタートはN88-BASICであり、本学(昔の国際教養学科)や他大学で教えていました。PCの画面で雪を降らせるプログラムの作成などを実習させ、学生たちとワイワイやっていたのが今では懐かしい思い出です。その後は、Microsoft AccessでのVBAやCGI用のPerlに没頭し、他大学ではC言語、本学のゼミではWebアプリケーションのためにJavaを教え、この数年は学内Webページの構築のためにPHPやJavaScriptを再学習し、最近は、データサイエンス教育のために授業でPythonを教え始めました。
 さて、残念ながら、学生から「勉強するならどんなプログラム言語が良いですか?」と尋ねられたことはあまりありませんが、回答するとしたら、「現在、流行っている言語」「Webに関連する言語」と回答するでしょう。
 学習をして、無駄になった言語は一つもありません。その意味ではどんな言語を勉強してもよいのですが、「現在、流行っている言語」の場合、市販の書籍を含めて、とにかくネットの情報が豊富です。プログラミングに行き詰まったとき、ネットを検索して解法のヒントを見出した経験は数え切れません。参考になった外国のページも多数あります。
 また、言語学習の目的が特にない場合は、すぐに結果が目に見える形で反映される言語がよいでしょう。そのような反映は実際面白いですし、やる気を起こさせる刺激にもなるからです。この意味では、ゲームでも良いですが、Webに関わる言語がよいでしょう。
 上記の2つの意味では、独断ですが、PythonやJavaScriptの言語学習をお勧めします。もちろん、学校等でC言語等の授業があれば、まずは、指定言語を一生懸命勉強してください。
 なお、必修科目になった高校の情報Iでは、学習するプログラム言語は、PythonやJavaScriptなどですが、この流れはしばらく続くと思われます。また、現在のWeb開発ではJavaScriptは不可欠であり、Pythonはその分野にもさらに大きく進展していくでしょう。その意味でも、これらの言語をお勧めします。生成系AIの活用により、言語学習は容易になりました。

自己形成の勧め 副学長 櫻井佳樹
[2025年7月24日]

掲載日:2025年7月24日
カテゴリ:言語文化学科

私の研究テーマは、「自己形成」である。人間として生まれ、人間になっていくそのプロセスに興味がある。人は家族や身近な人々から、学校の教師や友人、職場の人間などの他者との相互作用の中で、様々な役割を果たしながら「社会性」を身に付けるとともに、個性を磨きながら、自己を実現していく。そのプロセスは十人十色である。同じ人間でも、生まれた時代や環境が異なれば、全く異なる人生を送ったに違いない。その点で、誰もが唯一無二の存在である。同じように見えても一人一人異なる。そこが面白い。人生は様々な人と出会い、他者を理解し、自己を理解し、そして人間を理解することの繰り返しだ。

自己とは何か。定まった固定的な自己があるわけではない。常に変化し、変容する自己を手掛かりに、他者や制度や環境の声を聴きながら、自己の進むべき道を見定めていく。その目標が安定していれば、楽な道かもしれないが、現代は急激に変化する時代である。時代が変われば、その評価もがらりと変わる。目標の再設定が絶えず必要である。それは不安定であり、不確かな時代、激しい競争の時代である。常に自己と対話しながら、自己の行くべき道を探していく。対象に近づいて様々な角度から見る虫の目、高い位置から全体を俯瞰する鳥の目、時代の変化や将来を予測する魚の目も必要だが、時に留まって敵がいないか、食料はあるか、周囲を観察しながらまた進むミーアキャットの目(菅野仁2003『ジンメル・つながりの哲学』NHKブックス参照)が求められているのかもしれない。

 人生100年時代と言われる。私が想定していた老後はまだ先だ。むしろ人間は死に至るまで学び、歩き続けるのだろう。みなさん、大学時代になすべきことは、哲学者・和辻哲郎が語ったように、「教養」=「精神的な芽を育てること」である。自己の中に生まれた芽に気を配り、水や光や肥料を忘れず手をかけ(刺激を与え)、自分ならではの木を育て、花を咲かせることである。そのプロセスは決して若くして短期間で終わるものではなく、生涯を通して行われる大事業(パイデイア、Bildung(ビルドゥング))なのだ。そうだ。「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」(やなせたかし「アンパンマンのマーチ」より)。その大きな問いを携えて、共に歩もう。その問いを持つ者を大学は歓迎します。大学で過ごし、仲間と語る場が、青年期、成人期、老年期と、人生には3度必要だ。

誰もが行きたいところへ行ける社会を目指して 中村敏
[2025年6月17日]

掲載日:2025年6月17日
カテゴリ:地域マネジメント学科

私は旅行と、福祉の実務経験を活かし、「ユニバーサルツーリズム」の推進に取り組んでいます。ユニバーサルツーリズムとは、高齢や障がい等の有無にかかわらず、すべての人が安心して楽しめる旅行のことです。

令和7年版高齢社会白書によると、わが国の高齢化率は29.3%、高齢者数は3,624万人となっています。うち、75歳以上の後期高齢者は2,078万と前期高齢者1,547万人を大きく上回り、足腰に不安があったり、持病や障がいにより、旅行を諦めている方が増加しています。

誰もが行きたいところへ行ける社会を目指し、全国で取り組んでいる多様な分野の多くの仲間たちと毎日情報を共有し、課題に立ち向かっています。

 今年は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに大阪・関西万博(EXPO 2025)が開催され、日々増え続ける来場者に対応するため、会場を社会実験の場として、様々な取り組みが行われ、私も一研究者として参画しています。

 連携して取り組んでいる代表的な取り組みは「LET'S EXPO」です。「LET'S EXPO」とは、三菱UFJ銀行グループが設立した一般社団法人関西イノベーションセンターが運営するユニバーサルツーリズムプロジェクトです。

「行こう。あきらめていた人と。」をテーマに、万博に”簡単に行けない方”の参加を実現するため、現地で利用する「万博会場内サポート」、自宅・施設で利用する「バーチャル体験サポート」、「オンラインツアー配信視聴」の3つのラインナップが実施されています。

私は万博会場内サポートに携わり、奈良県からお越しの福祉施設の高齢者の受け入れのサポートをしたり、全国のユニバーサルツーリズムに取り組む30名の方々を対象とした視察ツアーの企画・運営に携わりました。こうした取り組みを通して得た最新で最先端の情報は、授業の教材として反映させています。

これらの取り組みが全国へ波及し、2025年が「ユニバーサルツーリズム元年」と後世の人々に言われるよう、万博最終日の10月13日まで仲間たちとともに全力で駆け抜けていきます。



Safe Singapore! 奥田美香
[2025年3月19日]

掲載日:2025年3月19日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
私は、昔、シンガポールに4年間住んでいました。
みなさんは、シンガポールと聞いて何をイメージされますか。マーライオン(思うより小さかったです)、船の形のホテル(マリーナベイ・サンズ)などなど、観光地として有名ですが、東京23区ぐらいの小さな国で、貿易に支えられている国でもあります。けれども、実はシンガポールといえば、まず、「安全」なのです。

私も住んでびっくりしましたが、日本より安全な国だと思う出来事がありました。シンガポール料理として有名なチリクラブ屋で、勤務先の歓迎会がありました。歓迎会でたくさんお酒を召し上がられていたマネージャーさんは、家に帰ろうと、お店の近くのバス停でバスを待っていたそうです。しかし、そのまま眠ってしまい、バス停で夜を明かしたそうです。
そこは、赤道直下の年中真夏のシンガポール。風邪はひかないにしても、悪い人にお財布を盗られることは十分に考えられます。しかし、そんなことは一切なく、優しい誰かが新聞紙をそっとかけてくれていたようで、朝を迎えたようです。さらに、ペストコントロールで蚊が駆除されているため、蚊にも刺されなかったとのことでした。

行ってすぐだったので、これを聞いてとても驚きました。海外旅行が好きで、いろんな所へ行きましたが、今のところ、シンガポールほど安全な国は見つかっていません。最初、シンガポールで生活することが決まった時、不安でしかありませんでしたが、意外と行ってみると、すぐにいろんな国の友人もできて、あっという間の4年間でした。

言葉の壁もある中で、シンガポールで生活できたことはいい経験で、なにものにも代えがたいプライスレスな時間だったと思います。今振り返ると、あの4年間は、チャレンジすることの重要さと、それによる広がりの可能性を実感させてくれる時間でした。これからも、新しい場所や経験に対して前向きに挑戦できればと思います。
そして皆さんも、春の訪れとともに、新たな挑戦を楽しんでください。

父の旅立ちに想う 濵松恵子
[2025年3月3日]

掲載日:2025年3月3日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
元気だった父が旅立ちました。旅立つ前の1ヶ月、父は入院生活を送りました。
「少し先の話」と思っていた親の介護はある日突然やってきました。晩婚化に伴った出産年齢の高齢化で、子育て中ながらも介護の必要性が出てくる「ダブルケア」が増加傾向といわれていますが、私も例外ではありませんでした。
仕事と育児と介護に追われ、悩みが尽きない日々に、その気持ちを和らげてくれたのは職場の方々でした。「休んで早く行ってあげて。」「代われることは代わるよ。」と幾度となく声をかけていただきました。また、「私は認知症の母が一人暮らし・・・。お父様のこと大変でしょう。」「父は入院していて、母は介護が必要で・・・。」と経験を話してくださる方も少なくありませんでした。
あの時優しく声をかけてくださった方々は、仕事と介護の両立に今日も悩んでおられると思います。介護は誰もが直面する可能性があるもの。「お互いさま」という気持ちで、協力したいと強く思うようになりました。

もうひとつ父の旅立ちを通して考えたことがあります。
私は「看護過程の展開」という科目を担当しています。看護師は看護過程を展開して、患者様に対してどのように看護を行うか決定し、実践します。父が旅立ったのは、ちょうど臨地実習が始まろうとする2年生に、“看護師らしく考える”ことを講義している時期でした。
父は回復の兆しがあったものの急変し、私が病院に着いた時には息を引き取っていました。主治医の説明を聞きながら、電子カルテに目をやると、おそらく担当看護師の方が入力されたその日の父の言葉が入力されていました。『ありがとうございます。すみません。』謙虚な父らしい最期の言葉だなと胸がいっぱいになるとともに、看護記録が残すものの大きさを感じました。
看護過程に看護記録は欠かせませんが、臨地実習における実習記録は学生にとって難題です。私は学生たちに、この看護記録のおかげでとても救われたことを講義で伝え、今、学生とともに臨地実習に臨んでいます。

岡山で方言を楽しむ 中野晃希
[2025年1月9日]

掲載日:2025年1月9日
カテゴリ:言語文化学科
岡山に赴任してもうすぐ一年になるが、岡山を含む山陽地方の方言には面白いものが多かったように思う。

山陽地方出身の先生方が会議でよく使う言葉に「たちまち」がある。標準語では、例えば「飲めばたちまち効く薬」のように「すぐに、急に」という意味なので、赴任当初は急ぎの仕事なのだと思いすぐに終わらせると、そんなに急いでいる様子もなく困惑したことを覚えている。岡山で生まれ育ったみなさんはもうわかっていると思うが、「たちまち」は「とりあえず」を意味する方言である。
逆に、私の出身である長野との共通点もあった。「レタスことば」は2000年代に入ってから東京で広まりだした、「飲めれる、聞けれる、書けれたら」のように余計に「れ」を足してしまう言い方である。実はこれは1900年代初頭には長野、高知、岡山、大分などで使われていた方言である。この「レタスことば」と言う呼び名は岡山の人が初めて使用したようで、岡山弁を「ら抜き言葉であると同時に、れ足す言葉でもあった」と評している(青山融 1998 『岡山弁JAGA(じゃが)!』月刊タウン情報おかやま別冊)。

レタス言葉に似た表現として、「さ入れ言葉」なるものも存在する。これもまた余分な「さ」が入っている表現で、五段動詞の使役形を「飲ませる」ではなく、一段動詞「食べさせる」のように「飲まさせる」と活用するものを指す。敬語と併用して「喋らさせていただきます・先に歌わさせていただきます」のように用いるのが一般的である。 近年では国会で多用されている表現であるが、関西から「〜せていただく」という敬語表現が東京に普及したことに伴って使用が増えた、これもまた方言である。

「さ入れ言葉」の分布としては、平成八年度に行われた文化庁の世論調査によると、岡山を含む中・四国や九州など、東京から遠く、「ら抜き言葉」が普及している地域で広く使用されているとの報告がある。
若者ことばとも呼ばれる東京新方言である「ら抜き言葉」「レタス言葉」「さ入れ言葉」の道程を辿ってみると、意外とその中に岡山の影が見えてくる。岡山で生まれ育ち、東京や大阪に憧れる学生は多いが、その流行りの若者ことばの最先端は、実は岡山弁にあるのかもしれない。

大きくなるっていうことは 吉井鮎美
[2024年12月25日]

掲載日:2024年12月25日
カテゴリ:こども育成学科
『おおきくなるっていうことは』(中川ひろたか・文、村上康成・絵、童心社)という絵本をご存じでしょうか。この絵本では、洋服が小さくなったり、歯が生えたり...と子どもが感じる視点、保育者にとっての視点などから「大きくなるっていうことはどういうことか」が描かれています。保育所等では進級した際などによく読まれているそうです。

最近私は「大きくなるっていうことはどういうことか」を息子の姿から考える機会が多くあります。4歳の誕生日を迎えてからというもの「4歳だからできる!」となんでも挑戦しようとしたり、張り切って取り組んだりするようになってきたのです。先日、某教育番組を息子と一緒に観ていた時、出演している子どもが「○○ちゃん、3さいです」と自己紹介しているのを聞いて、息子は「ねえ、この子3歳だって。ぼくはもう4歳だよ。3歳はまだ小さいんだよね。」と私に伝えてきました(私は心の中で息子に「同い年だよ」とツッコミました)。“4歳になった”ということが、子どもにとってこんなにも誇らしく自信につながっていることに日々驚かされています。

さて、大きくなるのは小さな子どもばかりではありません。大学生をみていても「大きくなったね」と感じる場面がたくさんあります。1年経てば表情や振る舞いが変わってきます。それは、大学での勉学、研究、実習での経験はもちろんのこと、部活、アルバイト、ボランティア、友人との遊びも含めて、高校生までとはちがう行動範囲でさまざまな経験を重ねているからだと思います。

この原稿を書きながら、ふと自分が大学生の頃のゼミでの指導場面を思い出しました。不真面目な大学生だった私は、ゼミを休んで遊びに行ったことがありました。指導教員から欠席理由をたずねられて正直に答えると、「遊んでいたならいいんだ」と言われ...てっきり叱られると思っていて拍子抜けしたのです。その指導教員は「よく学び、よく遊べ」と遊ぶことも大事なことだと教えてくださいました。それは、遊びの中で社会のことを学び、それが人としての成長を促し、研究にもよい視点をもたらすと考えておられたからだと今は思います。

冒頭に紹介した絵本の中に「おおきくなるっていうことはおもしろいことがどんどんみつけられるってこと」という記述があります。大学生のみなさんも、これから入学してくださる方も、大学生活で「おもしろいことを」どんどん見つけて「大きくなって」くださいね。

経済学って難しい...... 田鹿紘
[2024年11月5日]

掲載日:2024年11月5日
カテゴリ:地域マネジメント学科
世間では経済学に苦手意識を持っている人が多いようである。「経済学はお金儲けの必勝法を学ぶ学問ではない」「経済学部は文系の学部だけど、経済学は数学を多用する」と聞くと、がっかりしてしまうようだ。おそらく学生にとっては後者が大きいと思われる。「社会科だと思ったら数学だった」という声は頻繁に耳にする。これは、いわゆる「経済学あるある」である。

経済学ではグラフや数式がたくさん出てくる。例えば、グラフの中の図形の面積を計算する問題がある。やっている計算はそれほど難しいわけではないが、「この三角形は〇〇を表している」と説明が付け加わると、学生は難しく感じるようだ。かといって、「とりあえずそんなもんだと割り切って計算しましょう」と説明を省略してしまうと、経済学ではなく数学やパズルゲームになってしまうので、それだけは避けたい。

では、図や数式を使わなければよいのかといえば、これまた大変である。説明を尽くそうと頑張れば「話が長い」「雑談している」と思われることもある。地域マネジメント学科の経済学の授業は経済学部の授業ではないため、可能な限り数式を排除しているが、経済学の骨身の部分を失わず、それでいて学生に馴染みがあり、スッと染み込むように説明するのはなかなか骨が折れる。

ちなみに、アメリカの経済学の教科書は日本のものと比べると何倍も分厚く、邦訳で700ページを超えるものもあるのだが、例え話が豊富で読み物として面白い。 好きになれば非常に楽しい科目なのに、好きになるまでの道のりが長い科目なのかもしれない。そして、教える側も試行錯誤の連続である。

さて、最近ヒットした漫画やアニメには、「これって経済学の話だな」と感じたり、「経済学のコラムに載っていても良いかも」と思えるお話がいくつもある。思い浮かんだ作品は、もちろん経済がテーマなのではない。作品の中に経済学の素材が含まれていたり、経済学の視点から見るとより奥深いところが見えてくるのである。こうした、学生にとって身近な趣味やカルチャーを掘り下げていくことで、経済学に親近感を持ってもらうこともありなのかもしれない。

なのでわたしは、授業で「授業で学んだことを使って自分の好きなものを観察してみると、あなたの『好き』がもっと『好き』に変わるかもよ。それに対する見方も変わりますよ」と口にしたのである。

果たして、「好きなもの」のこれまで見えていなかった一面に気付かせてくれる経済学の面白みを知り、さらには経済学を「好きなもの」の一つに加えてくれるような学生が増えるだろうか......?

俳句に親しむ 石橋昭子
[2024年9月19日]

掲載日:2024年9月19日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
もう10年以上も続いている私の趣味が、俳句です。きっかけは、当時国際医療緊急救助隊に従事されていた、短歌を詠まれる医師の教授から「一人でもできる趣味を持つことが海外等の誰も知らない土地でもどこでも、心を健康に保つ秘訣ですよ」というようなことを教えていただいたことでした。その後、縁があって俳句にたどり着きました。

俳句は五・七・五の十七音からできており、季語を入れることがルールです。そこに表現の工夫、素材の新しさや発見があればなお良しとされます。
季語と言えば、大学構内でも見かける花水木(春)や紅葉(秋)といった草花や、短夜(夏)や小春(冬)などの時候を想像される方が多いかもしれません。
しかし、他にも身の回りの日常品や食べ物も季語になります。例えば、蒲団や鯛焼は冬の季語、香水や甘酒は夏の季語です。また、龍天に登る(春)や雀蛤になる(秋)などの伝説や古くからの言い伝えに由来するもの、竹の春(秋)と竹の秋(春)のように文字面と季語としての季節が逆になっているものなど、ユニークな季語も数多くあります。

俳句を作る事自体はまさに「一人でもできる」のですが、作ったものを持ち寄ってオンラインや対面で句会をしたり、俳句会に所属して選を受けたりすると、俳句を通しての交流も広がってきます。そうするとまたいろんな俳句に出会い、世界が広がっていきます。
教授が教えてくださったように、知った人がいない土地で暮らすときはもちろんですが、交流が広がり、世界が広がるという面からも、俳句は私の心の健康を保つのに大いに役立ってくれているのです。

弟に思いを馳せて 室谷実愛
[2024年8月24日]

掲載日:2024年8月24日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
私には、2人の弟がおりそのうちの1人に重症心身障害がある。身体的にも知能的にも重度の障害を持っており、全介助を必要としていた。
重症心身障害児のことでご尽力された糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」と言う言葉は、有名である。私の弟は、いわゆる「思春期危機」により、思春期以降、気管切開や胃ろう、感染症などでの入退院を繰り返していた。それでも弟は、取柄である「屈託のない笑顔」で、そしてそこに存在があることで、私たち家族に「生きる意味」を教え続けてくれていた家族の中心的存在であり、まさに「家族の光」だった。

7年前の夏、私が長女の育児休暇中に母から連絡があった。「弟が、ショートステイ先で心肺停止になり病院に運ばれた。」とのことであった。
突然のことで動揺が隠せなかったが、週末に会いに行くことしか出来なかった。当時、関西に住んでおり、島根までの道のりはいつもにも増して長く遠く感じた。病院に着き、病室に入るとベッドには目を閉じて寝ている弟の姿があった。「屈託のない笑顔」はそこにはなかったが、このままの姿で良いから「生きていて欲しい」と家族全員が願った。だが、その願いは儚くも届かず3週間後空へと旅立った。

旅立ちは、四国八十八か所遍路の御朱印の白装束を身にまとってであった。家族で四国遍路を回り作成した白装束で、両親が弟の死装束として私たちきょうだいに託したものだったが、両親の手でかけることとなったことにも無念さを痛感した。

後日、施設での録画映像を見ると、弟は座位になり顔を伏せていた。明らかに異常な状況であり、おそらくは心肺停止になっていた弟の前を何人もの人が通り過ぎて行ったが、声をかけることも気づくこともなかった。助けを自ら呼ぶことが出来ない弟は、どんなに苦しかっただろうか、どんなに無念で生きたいと願っていただろうかと思い、いたたまれない気持ちになった。薬剤注入の際にやっと気づかれることとなったが、もう少し早く気付いてもらえなかったのかと、家族として、同じ医療関係者として、残念な思いを抱いてしまうのである。

きょうだい3人、家族5人でこれからもずっと一緒に生きて行ける、仕事・育児が一段落してから両親に代わって弟の介護をしながらまた共に生きて行く未来はついえてしまった。言葉にはならない、後悔や無念さが深く心に刻まれている。

未来に希望を持ち、見据えて生きて行くことはもちろん大切である。だが、亡き弟に思いを馳せるとき、今しかできない事柄や経験、関係性も大切にして生きて行くことも必要だと痛感するのである。

韓国との「距離感」 久留島哲
[2024年6月25日]

掲載日:2024年6月25日
カテゴリ:言語文化学科
今年4月に言語文化学科に着任して、はや3か月が過ぎました。私は大学で韓国朝鮮史を専攻し、本学では「朝鮮の歴史と文化」といった授業を担当しています。授業を通じて10代~20代の学生たちと接するなかで、これまでにはあまり強く意識してこなかった様々な事へ目を向けるようになりました。その一つが、韓国文化や韓国社会に対する今の学生たちの「距離感」です。

私が10代の頃は、既に日本で第一次韓流ブーム(2000年代初頭)が生じていたので、私自身韓国という存在をある程度身近に感じながら10代~20代を過ごしてきたつもりでした。しかし、今の学生たちの話を聞くと、韓国のK–POPや食文化はもちろん、メイクやファッションなど、韓国の同世代の流行がほとんどタイムラグなく日本に伝わってきていることを強く実感しています。現在、高性能になった翻訳機能のおかげもあり、韓国語能力にそこまで左右されずに、韓国の最新コンテンツが気軽に楽しめる環境が生まれています。個人的にはむしろ、「韓国の」流行という風に韓国発であることを特にただし書きせずとも、面白いものや楽しいこと、可愛いものを積極的に受け入れる雰囲気があるように感じます。

ただ、少し気がかりな点もあります。最新の流行や文化を楽しむ一方、韓国社会の様々な社会問題や文化的背景、歴史などについては、「難しそう」と最初から及び腰になる学生が多いことです。同じ「韓国の情報」であっても、その内容の馴染みやすさで受け取る意欲に大きな差があるのが、今の日本の学生の、韓国とのリアルな「距離感」なのだと思いますが、「難しそう」といった先入観だけで敬遠してしまうのは、正直に言ってもったいないと感じます。

文化や歴史を学ぶとき、常に自分にとって「楽しい」「ポジティブ」な話題ばかり出てくるわけではありません。時には、複雑に絡み合った関係性や「難しい」「ネガティブ」な問題などが出てきます。しかし、自分の中で理解を深めるために、そうした話題に向き合うことを過度に敬遠しないでもらいたいと願っています。学生の苦手意識を少しでも軽くできるよう、私も授業や色々な場面で手助けしていくつもりです。

岡山の空とドビュッシーの音楽 桐岡亜由美
[2024年5月27日]

掲載日:2024年5月27日
カテゴリ:こども育成学科
山陽学園短期大学こども育成学科にピアノ教育などの担当教員として着任して、3年目の春が訪れた。関西出身の私は、これまで地元を離れたことがなく、岡山に転勤した当初は不安いっぱいの毎日であった。しかし、今ではいつでも仕事やプライベートのことを相談でき、支えてくださるこども育成学科の教職員の皆様に囲まれて、充実した日々を送っている。

滋賀から転居して、関西とのちょっとした違いや岡山の良さについて、いろいろと感じたり考えたりした。
1番最初に関西との違いを強く感じたのは、水道水のおいしさだった。しかし今回はそのことではなく、毎日の楽しみとなっている“岡山の空”、とりわけ日の入り後の色彩の変化についてだ。

私は自動車運転免許を取得しておらず、自転車通勤をしている。毎日、帰宅する際の西の空の美しさに魅せられている。なかでも、日の入りから暗闇が迫るまでの黄昏時のグラデーションだ。夕日から夜になるまで茜色から群青色に変化する色彩の豊かさはため息が出るほど美しい。そして刻一刻と変化する色彩の絶妙さを見るたびに、ドビュッシーのピアノ作品<版画>から「塔」や「グラナダの夕暮れ」や、<映像第2集>「葉ずえを渡る鐘の音」「そして月は廃寺に落ちる」などの音楽が私の頭の中を流れる。

ドビュッシーはフランス印象主義(印象派)を代表する作曲家である。彼の作曲技法は、調性が長調か短調かをわからなくなるように、和声をゆらぐように変化させることで、音と音の重なりに空間を感じさせるものである。まるで岡山の美しい黄昏時の空のようだ。スペイン音楽の要素も好んで用いたドビュッシーの音楽を聴きながら、私は岡山の空を心から楽しんでいる。

ぜひ皆様も、ドビュッシーの音楽を聴きながら、岡山の夕焼けを見て楽しんでいただきたい。明日へのエネルギーチャージになること間違いなしだ。

デジタル社会に想う 米田瑞生
[2024年5月1日]

掲載日:2024年5月1日
カテゴリ:地域マネジメント学科
昨年の着任以来、情報系の講義を担当しているためか、周囲からは余程のデジタル人間だと思われている節があります。しかし、実はかなりのアナログ人間なのです。身につけている腕時計は機械式(ゼンマイ仕掛け)、自宅の置き時計も「おじいさんの古時計」さながらのほぼ100歳の振り子時計(もちろんゼンマイ仕掛け)です。そして、蓄音機で音楽を聴くのも細やかな楽しみです。

我々昭和生まれ世代が知っている「レコード」は、所謂LP盤ですが、蓄音機で再生できるディスクは更に古い、SP盤と呼ばれるものです。特に1925年以前の録音は、空気中を伝搬する音声の振動を針でディスクに直接刻み込んで記録したもので、電気的な増幅を経ていない、現在のデジタル技術とは対照的な手法です。
過日、この蓄音機に興味をもった友人らが集まり、ちょっとしたコンサートのようなことを行いました。電気が介在しないにも関わらず、大音量で奏でられる音楽に、皆驚いているようでした。

今日、我々は音楽のデータのみを購入し、もはやディスクといった物理的メディアを手にしない時代になりました。場所も質量もなくデータを入手できる利便性は、画期的です。しかし、我々のスマートフォンやパソコンに保存したデータは、その後どうなるのでしょうか?クラウド化した現在、完全に失われることはないかもしれませんが、どのデータがどこにあるのか、将来の世代は把握できるのでしょうか?

その点、仕組みが明らかで修理・メンテナンスが容易であり、物理的にメディアが存在するアナログ機器・データは、実は世代を超えて受け継がれやすいものなのかもしれません。ロゼッタストーンが、デジタルデータでなくて良かった、そう思う今日この頃です。

推し活ブーム 中平絢子
[2024年3月28日]

掲載日:2024年3月28日
カテゴリ:こども育成学科
“推し活”という言葉はテレビでも当たり前のように聞こえてきますし、買い物に行けば様々な店で推し活グッズや推しカラーなど、たくさん目にする機会があります。推し活とは、一般的に、アイドルやキャラクターなど自分が気に入っている人や物を様々な方法や形で応援する活動のことを指します。

私は昨年度まで保育現場で働いていましたが、推し活と聞いて思い出すのは今から約13年前のこと。隣のクラスの先輩保育者は某K-POPアイドルにはまっていて、韓国語を習いに行ったり、コンサートに行ったり、今でいう推し活を存分に実行していました。 職員用ロッカーの内側にはもちろん、推しの写真や切り抜き(今ではアクスタでしょうか)を貼っており、「開けるたびに癒されるのよ。」と満面の笑みを浮かべた先生。推しがもたらす力はそれだけではありません。疲れた時や心が騒がしくなった時、何かにストレスを感じた時にもロッカーを開け、「これをみることによって怒りが収まるの、怒らずの誓いだわ。」と怒りの逃し方まで私に伝授してくださいました。しかしその当時の私は全く関心がなく、興味も持てず、説明されてもアイドルは皆同じ顔に見える始末。分かり合えない趣味でしたが、とても楽しそうに活動される先生を見て、少しうらやましく感じたことを覚えています。

あれから時は過ぎ今から数年前。気付いたら私にも推し活ブームがやってきて、どっぷりとはまっていきました(現在進行形)。あの時の先輩保育者のように、推しの言葉を理解したいと思って勉強したり、SNSを見たりする日々が訪れました。さらに、推し活を通して新たな友達もできるなど、日常が変化し明るくなったと感じることがしばしばあります。

変わるものと変わらないもの。勉強、読書、音楽、ショッピング、旅行、カフェ、一人で過ごす時間など、好きなことや好きな度合いも人それぞれですが、自分が幸せだなと感じられることや、ものとの出会い、気付きを大切にして、今を楽しむ自分でありたいと思います。

小声で言います、私の趣味は推し活です。

マラソンを通じて思うこと 森本眞寿代
[2024年1月23日]

掲載日:2024年1月23日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
私は昨年4月に本学に着任した。なので、名刺がわりに、私の趣味について少し書いてみたい。

気の向くままに河原の土手を走っていたのだが、気が付けば20年もの月日が経った。元々、運動はそう得意な方ではなかったが、なぜか昔から長距離は早い方だった。40歳になる前、下の子が小学校に上がったことをきっかけに、運動を習慣にした。気が付けばフルマラソンに出場するのが趣味となっていた。さらに、大会が近づけば、計画的に体力と耐久力を鍛え、当日の完走に向けて調整に入る。

「走ること、特にマラソンはきついでしょう。何が楽しいの?」と聞かれたことがある。「楽しい」という言葉は出てこない。しかし、慣れてしまえば、苦しいとも思わない。むしろ走った後の身体の軽さが心地よい。気持ち良い汗をかくことで体調も気分も爽快になる。免疫力が上がり、感染症になりにくいというメリットもある。

とはいえ、練習不足で出た大会では後悔だらけとなることもある。膝・腰・肩まで痛くなる。息切れし、気力も消耗する。そんな時は、「きついならスピードを落とし、無理をしなければよいのだ」と自分にいい聞かせ、ゆっくりと走っていく。カメの歩みのレベルかもしれない。しかし、若干の体力のもどりを自覚すると、逆にスピードを上げるのだ。止まらないと決め、とにかく前に進む。止まってしまえば、次にギアが上がらなくなるからである。

走りながらよく思うのだが、マラソンは人生に似ているのかもしれない。苦しい時もあるが、調節しながら前に進めば良いのである。走り抜けた後に得られるものは、沢山あるが、一番は自分に対する満足ではないだろうか。

コロナ禍で一時大会が中止となり、その影響で最近は走れなくなったなとよく思う。しかし、そろそろギアを上げ、還暦まではフルマラソンで汗をかきたい。そして、その後はというと、救護担当として大会を支えるのも良いかもしれない。

こころを大切にする 赤井美智代
[2023年10月31日]

掲載日:2023年10月31日
カテゴリ:看護学研究科・看護学部
私は、2023年4月に山陽学園大学に就職しました。新しい環境になり、新たな気持ちで多くのことを学び、吸収したいと思っています。しかし、どんな人でも新しい環境に慣れるのには時間とエネルギーを必要とします。

私は、これまでの人生で、メンタルヘルスに不調をきたしたことがありました。医療従事者でしたのである程度の病識は持っているつもりでしたが、自分のことになると、どのように過ごすことが回復の早道なのかと考えてしまい、思いがけない状況を受け止めるには時間が必要でした。幸い早期に回復することができたのですが、この経験から、メンタルヘルスの不調は誰にでも起こり得る身近なことであると気付き、自分の体調を気遣うことを忘れないようにしています。時々、厚生労働省の働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」を見て、セルフケアを意識する機会にしています。

本学の採用面接を受けた際に印象に残る出来事がありました。私は、「ベテランの年齢になりましたが、人生100年時代に向けて、いつまでも挑戦する気持ちを忘れずに実践していきたいです」と話しました。すると、面接官の先生から、「いや~、人生200年ですよ」と言われ、驚いたことを覚えています。今振り返ると、頑張れるか不安を感じていた私に、エールを送ってくださったのではないかと思っています。

長い人生の中で、こころもからだも良好な状態を保ち続けるためには、定期的に自分の状態に意識を向け、必要なケアをしてあげることが大切です。メンテナンスと仕事と遊び(ストレスとリラックス)の「めりはり」を意識しながら、今の自分を大切にする方法や自分に合ったセルフケアについて、少し時間をとって考えてみてください。

こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト https://kokoro.mhlw.go.jp/ 

「栄養教諭」は「食の大切さ」の伝道師です 岩崎由香里
[2023年9月29日]

掲載日:2023年9月29日
カテゴリ:健康栄養学科
「栄養教諭」という職業をご存知ですか?教職免許を取得して教諭としての仕事も行う学校栄養士を「栄養教諭」とよびます。山陽学園短期大学健康栄養学科でも、令和3(2021)年度から、栄養教諭二種免許の教職課程を設置しています。

「栄養教諭」制度は、平成17(2005)年にはじまりました。「栄養教諭」は教員なので、児童生徒に授業を行うことができ、それまで学校栄養士が短い給食時間で伝えていた食に関する事柄を、授業の中で広く深く教えることが可能になりました。このことはすごく良くなった点です。

大変になったことも、もちろんあります。それは、「教諭としての資質」が問われるようになったことです。

担任や専科の教諭のように授業を行うためには、児童生徒をしっかり理解して、適切な声かけなどができなくてはなりません。また、今まで主担当になることが少なかった委員会活動やクラブ活動などにも関わる機会が増えました。これらは大変ではありますが、児童生徒と関わる機会が増えたと考えるべきかなと思います。

ここで苦労話を一つ。わたしは以前、学校栄養士として働いていた頃に「栄養教諭をつくるための期成会」で活動をしていました。それは、「栄養教諭」であれば、子どもたちに食の大切さを教える機会がぐんと増え、子どもたちの健康を守ることができると考えたからです。

その後、学校栄養士の仲間たちで「食に関する指導の大切さ」を様々な機関に訴えた結果、「栄養教諭制度」が創設されました。制度ができるまでにこのような活動があったことをご存じない方々も多いと思います。これから栄養教諭を目指す方々は、子どもたちに食の大切さを教える機会を得るために頑張ってきた先輩たちがいたことを覚えておいてほしいなと思います。

子どもの「食べる力」を育む仕事に興味のある貴方!本学で一緒に栄養教諭を目指しましょう!!

【参考】栄養教諭制度について https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/eiyou/index.htm


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こころを大切にする 赤井美智代[2023年10月31日]
「栄養教諭」は「食の大切さ」の伝道師です 岩崎由香里[2023年9月29日]