山陽リレーコラム「平井の丘から」

経済学って難しい...... 田鹿紘
[2024年11月5日]

掲載日:2024年11月5日
カテゴリ:地域マネジメント学科
世間では経済学に苦手意識を持っている人が多いようである。「経済学はお金儲けの必勝法を学ぶ学問ではない」「経済学部は文系の学部だけど、経済学は数学を多用する」と聞くと、がっかりしてしまうようだ。おそらく学生にとっては後者が大きいと思われる。「社会科だと思ったら数学だった」という声は頻繁に耳にする。これは、いわゆる「経済学あるある」である。

経済学ではグラフや数式がたくさん出てくる。例えば、グラフの中の図形の面積を計算する問題がある。やっている計算はそれほど難しいわけではないが、「この三角形は〇〇を表している」と説明が付け加わると、学生は難しく感じるようだ。かといって、「とりあえずそんなもんだと割り切って計算しましょう」と説明を省略してしまうと、経済学ではなく数学やパズルゲームになってしまうので、それだけは避けたい。

では、図や数式を使わなければよいのかといえば、これまた大変である。説明を尽くそうと頑張れば「話が長い」「雑談している」と思われることもある。地域マネジメント学科の経済学の授業は経済学部の授業ではないため、可能な限り数式を排除しているが、経済学の骨身の部分を失わず、それでいて学生に馴染みがあり、スッと染み込むように説明するのはなかなか骨が折れる。

ちなみに、アメリカの経済学の教科書は日本のものと比べると何倍も分厚く、邦訳で700ページを超えるものもあるのだが、例え話が豊富で読み物として面白い。 好きになれば非常に楽しい科目なのに、好きになるまでの道のりが長い科目なのかもしれない。そして、教える側も試行錯誤の連続である。

さて、最近ヒットした漫画やアニメには、「これって経済学の話だな」と感じたり、「経済学のコラムに載っていても良いかも」と思えるお話がいくつもある。思い浮かんだ作品は、もちろん経済がテーマなのではない。作品の中に経済学の素材が含まれていたり、経済学の視点から見るとより奥深いところが見えてくるのである。こうした、学生にとって身近な趣味やカルチャーを掘り下げていくことで、経済学に親近感を持ってもらうこともありなのかもしれない。

なのでわたしは、授業で「授業で学んだことを使って自分の好きなものを観察してみると、あなたの『好き』がもっと『好き』に変わるかもよ。それに対する見方も変わりますよ」と口にしたのである。

果たして、「好きなもの」のこれまで見えていなかった一面に気付かせてくれる経済学の面白みを知り、さらには経済学を「好きなもの」の一つに加えてくれるような学生が増えるだろうか......?

俳句に親しむ 石橋昭子
[2024年9月19日]

掲載日:2024年9月19日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
もう10年以上も続いている私の趣味が、俳句です。きっかけは、当時国際医療緊急救助隊に従事されていた、短歌を詠まれる医師の教授から「一人でもできる趣味を持つことが海外等の誰も知らない土地でもどこでも、心を健康に保つ秘訣ですよ」というようなことを教えていただいたことでした。その後、縁があって俳句にたどり着きました。

俳句は五・七・五の十七音からできており、季語を入れることがルールです。そこに表現の工夫、素材の新しさや発見があればなお良しとされます。
季語と言えば、大学構内でも見かける花水木(春)や紅葉(秋)といった草花や、短夜(夏)や小春(冬)などの時候を想像される方が多いかもしれません。
しかし、他にも身の回りの日常品や食べ物も季語になります。例えば、蒲団や鯛焼は冬の季語、香水や甘酒は夏の季語です。また、龍天に登る(春)や雀蛤になる(秋)などの伝説や古くからの言い伝えに由来するもの、竹の春(秋)と竹の秋(春)のように文字面と季語としての季節が逆になっているものなど、ユニークな季語も数多くあります。

俳句を作る事自体はまさに「一人でもできる」のですが、作ったものを持ち寄ってオンラインや対面で句会をしたり、俳句会に所属して選を受けたりすると、俳句を通しての交流も広がってきます。そうするとまたいろんな俳句に出会い、世界が広がっていきます。
教授が教えてくださったように、知った人がいない土地で暮らすときはもちろんですが、交流が広がり、世界が広がるという面からも、俳句は私の心の健康を保つのに大いに役立ってくれているのです。

弟に思いを馳せて 室谷実愛
[2024年8月24日]

掲載日:2024年8月24日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
私には、2人の弟がおりそのうちの1人に重症心身障害がある。身体的にも知能的にも重度の障害を持っており、全介助を必要としていた。
重症心身障害児のことでご尽力された糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」と言う言葉は、有名である。私の弟は、いわゆる「思春期危機」により、思春期以降、気管切開や胃ろう、感染症などでの入退院を繰り返していた。それでも弟は、取柄である「屈託のない笑顔」で、そしてそこに存在があることで、私たち家族に「生きる意味」を教え続けてくれていた家族の中心的存在であり、まさに「家族の光」だった。

7年前の夏、私が長女の育児休暇中に母から連絡があった。「弟が、ショートステイ先で心肺停止になり病院に運ばれた。」とのことであった。
突然のことで動揺が隠せなかったが、週末に会いに行くことしか出来なかった。当時、関西に住んでおり、島根までの道のりはいつもにも増して長く遠く感じた。病院に着き、病室に入るとベッドには目を閉じて寝ている弟の姿があった。「屈託のない笑顔」はそこにはなかったが、このままの姿で良いから「生きていて欲しい」と家族全員が願った。だが、その願いは儚くも届かず3週間後空へと旅立った。

旅立ちは、四国八十八か所遍路の御朱印の白装束を身にまとってであった。家族で四国遍路を回り作成した白装束で、両親が弟の死装束として私たちきょうだいに託したものだったが、両親の手でかけることとなったことにも無念さを痛感した。

後日、施設での録画映像を見ると、弟は座位になり顔を伏せていた。明らかに異常な状況であり、おそらくは心肺停止になっていた弟の前を何人もの人が通り過ぎて行ったが、声をかけることも気づくこともなかった。助けを自ら呼ぶことが出来ない弟は、どんなに苦しかっただろうか、どんなに無念で生きたいと願っていただろうかと思い、いたたまれない気持ちになった。薬剤注入の際にやっと気づかれることとなったが、もう少し早く気付いてもらえなかったのかと、家族として、同じ医療関係者として、残念な思いを抱いてしまうのである。

きょうだい3人、家族5人でこれからもずっと一緒に生きて行ける、仕事・育児が一段落してから両親に代わって弟の介護をしながらまた共に生きて行く未来はついえてしまった。言葉にはならない、後悔や無念さが深く心に刻まれている。

未来に希望を持ち、見据えて生きて行くことはもちろん大切である。だが、亡き弟に思いを馳せるとき、今しかできない事柄や経験、関係性も大切にして生きて行くことも必要だと痛感するのである。

韓国との「距離感」 久留島哲
[2024年6月25日]

掲載日:2024年6月25日
カテゴリ:言語文化学科
今年4月に言語文化学科に着任して、はや3か月が過ぎました。私は大学で韓国朝鮮史を専攻し、本学では「朝鮮の歴史と文化」といった授業を担当しています。授業を通じて10代~20代の学生たちと接するなかで、これまでにはあまり強く意識してこなかった様々な事へ目を向けるようになりました。その一つが、韓国文化や韓国社会に対する今の学生たちの「距離感」です。

私が10代の頃は、既に日本で第一次韓流ブーム(2000年代初頭)が生じていたので、私自身韓国という存在をある程度身近に感じながら10代~20代を過ごしてきたつもりでした。しかし、今の学生たちの話を聞くと、韓国のK–POPや食文化はもちろん、メイクやファッションなど、韓国の同世代の流行がほとんどタイムラグなく日本に伝わってきていることを強く実感しています。現在、高性能になった翻訳機能のおかげもあり、韓国語能力にそこまで左右されずに、韓国の最新コンテンツが気軽に楽しめる環境が生まれています。個人的にはむしろ、「韓国の」流行という風に韓国発であることを特にただし書きせずとも、面白いものや楽しいこと、可愛いものを積極的に受け入れる雰囲気があるように感じます。

ただ、少し気がかりな点もあります。最新の流行や文化を楽しむ一方、韓国社会の様々な社会問題や文化的背景、歴史などについては、「難しそう」と最初から及び腰になる学生が多いことです。同じ「韓国の情報」であっても、その内容の馴染みやすさで受け取る意欲に大きな差があるのが、今の日本の学生の、韓国とのリアルな「距離感」なのだと思いますが、「難しそう」といった先入観だけで敬遠してしまうのは、正直に言ってもったいないと感じます。

文化や歴史を学ぶとき、常に自分にとって「楽しい」「ポジティブ」な話題ばかり出てくるわけではありません。時には、複雑に絡み合った関係性や「難しい」「ネガティブ」な問題などが出てきます。しかし、自分の中で理解を深めるために、そうした話題に向き合うことを過度に敬遠しないでもらいたいと願っています。学生の苦手意識を少しでも軽くできるよう、私も授業や色々な場面で手助けしていくつもりです。

岡山の空とドビュッシーの音楽 桐岡亜由美
[2024年5月27日]

掲載日:2024年5月27日
カテゴリ:こども育成学科
山陽学園短期大学こども育成学科にピアノ教育などの担当教員として着任して、3年目の春が訪れた。関西出身の私は、これまで地元を離れたことがなく、岡山に転勤した当初は不安いっぱいの毎日であった。しかし、今ではいつでも仕事やプライベートのことを相談でき、支えてくださるこども育成学科の教職員の皆様に囲まれて、充実した日々を送っている。

滋賀から転居して、関西とのちょっとした違いや岡山の良さについて、いろいろと感じたり考えたりした。
1番最初に関西との違いを強く感じたのは、水道水のおいしさだった。しかし今回はそのことではなく、毎日の楽しみとなっている“岡山の空”、とりわけ日の入り後の色彩の変化についてだ。

私は自動車運転免許を取得しておらず、自転車通勤をしている。毎日、帰宅する際の西の空の美しさに魅せられている。なかでも、日の入りから暗闇が迫るまでの黄昏時のグラデーションだ。夕日から夜になるまで茜色から群青色に変化する色彩の豊かさはため息が出るほど美しい。そして刻一刻と変化する色彩の絶妙さを見るたびに、ドビュッシーのピアノ作品<版画>から「塔」や「グラナダの夕暮れ」や、<映像第2集>「葉ずえを渡る鐘の音」「そして月は廃寺に落ちる」などの音楽が私の頭の中を流れる。

ドビュッシーはフランス印象主義(印象派)を代表する作曲家である。彼の作曲技法は、調性が長調か短調かをわからなくなるように、和声をゆらぐように変化させることで、音と音の重なりに空間を感じさせるものである。まるで岡山の美しい黄昏時の空のようだ。スペイン音楽の要素も好んで用いたドビュッシーの音楽を聴きながら、私は岡山の空を心から楽しんでいる。

ぜひ皆様も、ドビュッシーの音楽を聴きながら、岡山の夕焼けを見て楽しんでいただきたい。明日へのエネルギーチャージになること間違いなしだ。

デジタル社会に想う 米田瑞生
[2024年5月1日]

掲載日:2024年5月1日
カテゴリ:地域マネジメント学科
昨年の着任以来、情報系の講義を担当しているためか、周囲からは余程のデジタル人間だと思われている節があります。しかし、実はかなりのアナログ人間なのです。身につけている腕時計は機械式(ゼンマイ仕掛け)、自宅の置き時計も「おじいさんの古時計」さながらのほぼ100歳の振り子時計(もちろんゼンマイ仕掛け)です。そして、蓄音機で音楽を聴くのも細やかな楽しみです。

我々昭和生まれ世代が知っている「レコード」は、所謂LP盤ですが、蓄音機で再生できるディスクは更に古い、SP盤と呼ばれるものです。特に1925年以前の録音は、空気中を伝搬する音声の振動を針でディスクに直接刻み込んで記録したもので、電気的な増幅を経ていない、現在のデジタル技術とは対照的な手法です。
過日、この蓄音機に興味をもった友人らが集まり、ちょっとしたコンサートのようなことを行いました。電気が介在しないにも関わらず、大音量で奏でられる音楽に、皆驚いているようでした。

今日、我々は音楽のデータのみを購入し、もはやディスクといった物理的メディアを手にしない時代になりました。場所も質量もなくデータを入手できる利便性は、画期的です。しかし、我々のスマートフォンやパソコンに保存したデータは、その後どうなるのでしょうか?クラウド化した現在、完全に失われることはないかもしれませんが、どのデータがどこにあるのか、将来の世代は把握できるのでしょうか?

その点、仕組みが明らかで修理・メンテナンスが容易であり、物理的にメディアが存在するアナログ機器・データは、実は世代を超えて受け継がれやすいものなのかもしれません。ロゼッタストーンが、デジタルデータでなくて良かった、そう思う今日この頃です。

推し活ブーム 中平絢子
[2024年3月28日]

掲載日:2024年3月28日
カテゴリ:こども育成学科
“推し活”という言葉はテレビでも当たり前のように聞こえてきますし、買い物に行けば様々な店で推し活グッズや推しカラーなど、たくさん目にする機会があります。推し活とは、一般的に、アイドルやキャラクターなど自分が気に入っている人や物を様々な方法や形で応援する活動のことを指します。

私は昨年度まで保育現場で働いていましたが、推し活と聞いて思い出すのは今から約13年前のこと。隣のクラスの先輩保育者は某K-POPアイドルにはまっていて、韓国語を習いに行ったり、コンサートに行ったり、今でいう推し活を存分に実行していました。 職員用ロッカーの内側にはもちろん、推しの写真や切り抜き(今ではアクスタでしょうか)を貼っており、「開けるたびに癒されるのよ。」と満面の笑みを浮かべた先生。推しがもたらす力はそれだけではありません。疲れた時や心が騒がしくなった時、何かにストレスを感じた時にもロッカーを開け、「これをみることによって怒りが収まるの、怒らずの誓いだわ。」と怒りの逃し方まで私に伝授してくださいました。しかしその当時の私は全く関心がなく、興味も持てず、説明されてもアイドルは皆同じ顔に見える始末。分かり合えない趣味でしたが、とても楽しそうに活動される先生を見て、少しうらやましく感じたことを覚えています。

あれから時は過ぎ今から数年前。気付いたら私にも推し活ブームがやってきて、どっぷりとはまっていきました(現在進行形)。あの時の先輩保育者のように、推しの言葉を理解したいと思って勉強したり、SNSを見たりする日々が訪れました。さらに、推し活を通して新たな友達もできるなど、日常が変化し明るくなったと感じることがしばしばあります。

変わるものと変わらないもの。勉強、読書、音楽、ショッピング、旅行、カフェ、一人で過ごす時間など、好きなことや好きな度合いも人それぞれですが、自分が幸せだなと感じられることや、ものとの出会い、気付きを大切にして、今を楽しむ自分でありたいと思います。

小声で言います、私の趣味は推し活です。

マラソンを通じて思うこと 森本眞寿代
[2024年1月23日]

掲載日:2024年1月23日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
私は昨年4月に本学に着任した。なので、名刺がわりに、私の趣味について少し書いてみたい。

気の向くままに河原の土手を走っていたのだが、気が付けば20年もの月日が経った。元々、運動はそう得意な方ではなかったが、なぜか昔から長距離は早い方だった。40歳になる前、下の子が小学校に上がったことをきっかけに、運動を習慣にした。気が付けばフルマラソンに出場するのが趣味となっていた。さらに、大会が近づけば、計画的に体力と耐久力を鍛え、当日の完走に向けて調整に入る。

「走ること、特にマラソンはきついでしょう。何が楽しいの?」と聞かれたことがある。「楽しい」という言葉は出てこない。しかし、慣れてしまえば、苦しいとも思わない。むしろ走った後の身体の軽さが心地よい。気持ち良い汗をかくことで体調も気分も爽快になる。免疫力が上がり、感染症になりにくいというメリットもある。

とはいえ、練習不足で出た大会では後悔だらけとなることもある。膝・腰・肩まで痛くなる。息切れし、気力も消耗する。そんな時は、「きついならスピードを落とし、無理をしなければよいのだ」と自分にいい聞かせ、ゆっくりと走っていく。カメの歩みのレベルかもしれない。しかし、若干の体力のもどりを自覚すると、逆にスピードを上げるのだ。止まらないと決め、とにかく前に進む。止まってしまえば、次にギアが上がらなくなるからである。

走りながらよく思うのだが、マラソンは人生に似ているのかもしれない。苦しい時もあるが、調節しながら前に進めば良いのである。走り抜けた後に得られるものは、沢山あるが、一番は自分に対する満足ではないだろうか。

コロナ禍で一時大会が中止となり、その影響で最近は走れなくなったなとよく思う。しかし、そろそろギアを上げ、還暦まではフルマラソンで汗をかきたい。そして、その後はというと、救護担当として大会を支えるのも良いかもしれない。

こころを大切にする 赤井美智代
[2023年10月31日]

掲載日:2023年10月31日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
私は、2023年4月に山陽学園大学に就職しました。新しい環境になり、新たな気持ちで多くのことを学び、吸収したいと思っています。しかし、どんな人でも新しい環境に慣れるのには時間とエネルギーを必要とします。

私は、これまでの人生で、メンタルヘルスに不調をきたしたことがありました。医療従事者でしたのである程度の病識は持っているつもりでしたが、自分のことになると、どのように過ごすことが回復の早道なのかと考えてしまい、思いがけない状況を受け止めるには時間が必要でした。幸い早期に回復することができたのですが、この経験から、メンタルヘルスの不調は誰にでも起こり得る身近なことであると気付き、自分の体調を気遣うことを忘れないようにしています。時々、厚生労働省の働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」を見て、セルフケアを意識する機会にしています。

本学の採用面接を受けた際に印象に残る出来事がありました。私は、「ベテランの年齢になりましたが、人生100年時代に向けて、いつまでも挑戦する気持ちを忘れずに実践していきたいです」と話しました。すると、面接官の先生から、「いや~、人生200年ですよ」と言われ、驚いたことを覚えています。今振り返ると、頑張れるか不安を感じていた私に、エールを送ってくださったのではないかと思っています。

長い人生の中で、こころもからだも良好な状態を保ち続けるためには、定期的に自分の状態に意識を向け、必要なケアをしてあげることが大切です。メンテナンスと仕事と遊び(ストレスとリラックス)の「めりはり」を意識しながら、今の自分を大切にする方法や自分に合ったセルフケアについて、少し時間をとって考えてみてください。

こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト https://kokoro.mhlw.go.jp/ 

「栄養教諭」は「食の大切さ」の伝道師です 岩崎由香里
[2023年9月29日]

掲載日:2023年9月29日
カテゴリ:健康栄養学科
「栄養教諭」という職業をご存知ですか?教職免許を取得して教諭としての仕事も行う学校栄養士を「栄養教諭」とよびます。山陽学園短期大学健康栄養学科でも、令和3(2021)年度から、栄養教諭二種免許の教職課程を設置しています。

「栄養教諭」制度は、平成17(2005)年にはじまりました。「栄養教諭」は教員なので、児童生徒に授業を行うことができ、それまで学校栄養士が短い給食時間で伝えていた食に関する事柄を、授業の中で広く深く教えることが可能になりました。このことはすごく良くなった点です。

大変になったことも、もちろんあります。それは、「教諭としての資質」が問われるようになったことです。

担任や専科の教諭のように授業を行うためには、児童生徒をしっかり理解して、適切な声かけなどができなくてはなりません。また、今まで主担当になることが少なかった委員会活動やクラブ活動などにも関わる機会が増えました。これらは大変ではありますが、児童生徒と関わる機会が増えたと考えるべきかなと思います。

ここで苦労話を一つ。わたしは以前、学校栄養士として働いていた頃に「栄養教諭をつくるための期成会」で活動をしていました。それは、「栄養教諭」であれば、子どもたちに食の大切さを教える機会がぐんと増え、子どもたちの健康を守ることができると考えたからです。

その後、学校栄養士の仲間たちで「食に関する指導の大切さ」を様々な機関に訴えた結果、「栄養教諭制度」が創設されました。制度ができるまでにこのような活動があったことをご存じない方々も多いと思います。これから栄養教諭を目指す方々は、子どもたちに食の大切さを教える機会を得るために頑張ってきた先輩たちがいたことを覚えておいてほしいなと思います。

子どもの「食べる力」を育む仕事に興味のある貴方!本学で一緒に栄養教諭を目指しましょう!!

【参考】栄養教諭制度について https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/eiyou/index.htm


がんばる栄養教諭のたまごたち

日本語の変化と日本語教師 山田勇人
[2023年8月8日]

掲載日:2023年8月8日
カテゴリ:言語文化学科
先日、研究室を片付けていたら、『日本語初歩』という外国人学習者向けの日本語の教科書が出てきました。この教科書はすでに絶版となっているのですが、1981年に出版されて以来、長い間、国内外の日本語教育機関で使われてきたものです。いい機会だと思い、改めてこの教科書を見てみると、興味深い点がいくつかありました。

「マッチ」「レコード」「テープレコーダー」「電報」「下駄」...。令和の時代にあまりに耳にしなくなったものばかりですが、この『日本語初歩』には、これらが初級の語彙として掲出されているのです。つまり、その当時はそれだけ使用頻度や必要性が高かったことを意味します。時代とともに、言葉は変化するのは当然のことですが、これらの語彙はそれを指し示す物自体が消滅した(あるいは、消滅しつつある)結果、使用もあまり見られなくなったものばかりです。わずか40年の間に私たちの身の回りの語彙も変わっているということなのでしょう。

このような現象は語彙だけではありません。日本語教育では初級の後半に「この道をまっすぐ行くと、駅があります。」「このボタンを押すと、ドアが開きます」のように接続助詞の「と」を使った文を学習します。一昔前の日本語教師であれば、この文法の使用例を示すために「道案内」の練習をするというのが定番でした。

教師:道案内をするときは、「~と、~」を使います。会話の例を見てください。
A:すみません、郵便局はどこですか。
B:郵便局はこの道を曲がって、まっすぐ行くと、ありますよ。
A:ありがとうございます。

しかし、この「道案内」は今の日本語学習者にはその必要性があまり感じられないでしょう。実際に、このような会話を練習しようものなら、「先生、アプリがありますから、人に道を聞きません。」と言われかねません。

久しぶりに私の目の前に現れた『日本語初歩』のおかげで、時代とともに日本語の使用の状況もまた変化しており、特に私たち日本語教師はその変化に敏感にならなければならないのだと痛感させられたのです。


『日本語初歩』(鈴木忍、川瀬生郎、国際交流基金日本語国際センター編 初版発行:1981年 出版社:凡人社) ※2023年8月現在は絶版

教育は長く、人生は短し 神田將志
[2023年7月31日]

掲載日:2023年7月31日
カテゴリ:地域マネジメント学科
この春、世界的な音楽家、坂本龍一さんが永眠されました。旅立つ2日前まで、坂本さんは東北ユースオーケストラの公演の指導を、病床からリモートで行っていたと聞きました。東北ユースオーケストラとは、坂本さんが東日本大震災の被災地の子供たちや学生たちに呼びかけて始めた地域音楽活動です。彼自身が代表および音楽監督を務め、震災の記憶を風化させないと共に、世界レベルの音楽家を被災した地域から育成することを目指した取り組みです。

7月6日にNHKで放送された坂本さんの追悼番組では、坂本さんの指揮に全力で取り組む東北ユースオーケストラの子供たち、生徒たちの真剣な眼差しがとても印象的でした。ふと、その姿は、自分の教室で私の授業に耳を傾け、毎回ディスカッションテーマに対してGoogleスプレッドシートにしっかりコメントを書き込んで共有してくれる学生たちの姿に重なりました。私自身、ピアノを弾くこともオーケストラの指導もできません。しかし、地域の将来を担う若者を育てることができるのではないでしょうか。

偉大な芸術家と比べるにはあまりにもおこがましいですが、「地域から未来の人財を育てる」という姿勢においては、坂本さんと同じ道を歩んでいるようにも思います。感受性豊かな中学生の頃から私淑してきた坂本さんと、将来、地域から(あるいは地域で)活躍する若者を育てるという志において今、同期できたことに大きな勇気をいただきました。

私には、学生たちに伝えたいことがたくさんあります。毎回の授業や実習で一緒に学ぶ学生たち、いろいろ相談に来てくれる学生たちと話していると、いつかはやってくる卒業式のことを今から考えてしまい、ちょっと胸がキューンとなるときがあります。しかし、大学卒業後も教育は続くものだと思います。社会に揉まれ、相談に来た学生たちへも実社会の経験からアドバイスできるのではないかと考えると、卒業もお別れではないので少し気持ちが救われます。

「芸術は長く、人生は短し」 坂本さんはこの言葉を好まれたそうです。 「教育は長く、人生は短し」 私はこの言葉を胸に、この地域の未来を創る学生たちと一緒に学んでいきたいと思います。

永遠に生き続ける言葉 酒井正治
[2023年7月5日]

掲載日:2023年7月5日
カテゴリ:地域マネジメント学科
みなさんは自分の「死」について考えたことがありますか。ひょっとするとコロナ禍の中で、「自分が感染して、もしかしたら」と想像した人もいるかもしれません。

私の場合、高校生の時、夜、寝る前に、もし翌朝目覚めることがなかったらどうしよう、と布団の中で不安に思うことがよくありました。 なので、もし明日で人生が終わってしまっても後悔しないように今日を生きようと考え、毎日を大事に過ごそうと思いました。当時、私が特に大切に思っていたのは、学校で会う好きな子や友達のことでした。たとえ自分が死んだとしても、彼らの心の中で生き続けられたらとても素晴らしいことです。だから、「人の心の中で生き続けられるように、人の心に届く言葉を贈りたい」と思うようになりました。

多感な中高生の時に聴いた音楽は一生忘れない、と言われるように、ジョン・レノンや尾崎豊の歌詞に心が震えました。もちろん私にはそんな立派な言葉を発することはできません。それでも、現在、山陽学園大学で講義をする際には、たった一言でも聞いている人の心に残る言葉を残したいという想いで臨んでいます。

私の力不足から学生に十分には届いていないかもしれませんが、専門的な内容を淡々と説明するのではなく、そのテーマに関する自分の想いをのせたエピソードをまじえて話すようにしています。また、とてもうれしいことを言ってくれる学生には、恥ずかしがらず、かっこいい言葉を贈っています。

「誰かの心の中で永遠に生き続けたい」と願う気持ちは、きっと私だけではなく、多くの方が持っておられると思います。みなさんも、大切な周りの方に心を込めた言葉を伝えてみてはいかがでしょうか。

働くことと愛すること 毛利猛
[2023年5月16日]

掲載日:2023年5月16日
カテゴリ:ビジネス心理学科
 精神分析学の創始者であるS.フロイトは、「人生において大切なことは何ですか」という知人の質問に、「それは、働くことと愛することだ」と、即座に答えたといわれています。人生において大切なことは、それを問うている人がライフステージのどこら辺りに立っているかで違ってくるでしょうが、もし、充実した人生のために何が大切かと若者から問われたら、私もやはり、フロイトに倣って、「働くことにおいて充実していること、愛することにおいて充実していること。この2つだ。」と答えたいと思います。
 ここで注目すべきは、働くことにおいても、愛することにおいても、人は人とつながらなければならず、しかもそのつながりにおいて自分らしくあらねばならないということです。働くことも、愛することも、一人ではうまくいかないが、しかし、自分を失ってはならない。そういう私たちの社会的自己実現にかかわる大事なことがらが、働くことと愛することにおいて最も際立つのだ、といってよいでしょう。
 コロナ禍によって、私たちは、人と人がつながることについての制約を受けることになりました。当たり前のものがそうでなくなったときに、私たちはそのものの価値(有り難さ)を改めて問うことになります。山陽学園大学・短期大学において学ばれる皆さんが、人と人がつながることの難しさとともに、つながることの尊さ、すばらしさを最もよく学んだ人になることを、私は心から願っています。

茶道の心得 野々上敬子
[2023年3月30日]

掲載日:2023年3月30日
カテゴリ:こども育成学科
 先日、本学の卒業式が行われました。新しい世界へ羽ばたいていく若い人たちを見ていると、これからどのような出会いをしてどのように成長するのか、楽しみでもあり羨ましくも感じました。引き締まった礼服姿はもちろんのこと日本の正装である着物姿も雅で素晴らしかったです。私も着物で列席させていただきました。
 着物は、趣味でしている茶道の場でよく着ます。子どもの頃、お菓子の美味しさにつられて始めたのですが、未だに続いてお稽古をしています。こんなに長く続けられるのは、お茶には色々な楽しみ方があるからです。季節によって変わる掛物や花、道具組、目を楽しませてくれる和菓子、茶室の中だけでなく、外を見れば木々の色、風の様子が変わります。ただお茶を点てて飲むだけではなく、お茶のお連れとお茶の銘柄を当てる遊びをしたり、懐石料理を作って会食し、その後一服のお茶を楽しんだり・・・そして、人を招くには四季折々の花を入れ、道具立ても自分なりに工夫し、来てくださる方に喜んでいただけるよう準備をする、忙しさのなかにもワクワク感があります。
 茶道の心得を表した語に「一期一会」があります。その出会いを一生に一度しかないものとして、誠心誠意尽くすという意味です。相手に寄り添った気配り、心配り、思いやりは、人間関係を上手く築く上で大切なことだといつも感じています。
 これからも、私は人との出会いを大切にして、精進していきたいと思っていますし、この度卒業された皆さんには、これからの様々な出会いをぜひとも大事にしてほしいと思います。

絵本の世界への切符(認定絵本士養成講座) 磯野千恵
[2023年2月27日]

掲載日:2023年2月27日
カテゴリ:こども育成学科
 認定絵本士養成講座(こどもと絵本I・II)の授業を今年度(R4年度)から始めました。最初の授業で、学生に「絵本とはどんなものですか」と質問をすると、「赤ちゃんや小さい子どもが読むもの」「お母さんに読んでもらう」「かわいいキャラクターがでてくる」など、学生らしい答えが返ってきました。絵本が大好きと集まった学生たちでしたが、絵本について知っていることは、自分の子どものころの思い出の中のものばかりでした。
 そこで、講座の始まりとして、学生たちがこれまでに触れたことのないようなさまざまな絵本を読み合い、感想を話し合いました。

『ルリユールおじさん』いせ・ひでこ作 
 《主人公ソフィーが、植物図鑑を修復してくれる本造り職人(ルリユール)の生き方に触れていく絵本です。ルリユールおじさんに惹かれて、学生たちの対話が始まりました。》
『かようびのよる』デヴィッド・ウィーズナー作・絵 
 《火曜日の夜にかえるたちが町の中を蓮の葉に乗って飛びまわるこの絵本に、衝撃の声が上がりました。学生が今まで手にしたことのない絵本でした。》
 『アライバル』ショーン・タン作 
 《新しい地で生活を始める移民の姿が、無言の中に茶褐色のいくつもの絵だけで描かれ、その絵を辿って、読み手は言葉を添えていきます。絵本とは思えない厚みと重みに学生の感想も深くなりました。》 
などなど・・・。

 学生たちは、今まで知らなかった絵本に出会えた驚きと嬉しさで目を輝かせていました。
 絵本は、限られたページに、絵が描かれ、言葉が添えられ、絵と言葉が補完し合って一つの世界を創りあげます。そこには、書き手の様々なメッセージが込められています。読み手はページをめくることで、それを我がこととして引き寄せ、その世界で遊んだり考えたりしながら自らの世界を広げていくのです。
 学生たちには、絵本の世界を感じ、自らの人生に絵本を寄り添わせ、子どもたちやいろいろな人に絵本を手渡す人になってほしいと思います。
 認定絵本士養成講座(こどもと絵本I・II)の1年間30コマの授業で得た絵本の知識や技能、そして絵本への関心は、絵本への入り口です。認定絵本士の称号を得た学生たちは、絵本の奥深い世界へ入っていくこれからの切符を手にしたのです。
 この切符をもって、更に、絵本の世界を学び、絵本に対する知見を深めていってほしいものです。

わくドキの子どもの心に寄り添う 前田信美
[2023年1月27日]

掲載日:2023年1月27日
カテゴリ:こども育成学科
 本学に勤務する前、私が保育園の園長を務めていた頃の話である。
 「わっ青い種だ!」ヒマワリを園で植えたようとした時、袋から出てきた種は青かった。 子ども達は、自分の知っている種と違っていたのでとても不思議がった。「青いヒマワリが咲くかも?」と大騒ぎ。 
 私の所へ「園長先生、大変、種が青いんよ。青いヒマワリが咲くんかな?」と目を輝かせて言いに来た。「そうね、青いヒマワリが咲くかもね」と私は答えて、子ども達に、長い年月、夢を描いて研究を続けたことで青いバラを咲かせることができた話をした。「アプローズ」と名付けられたそのバラの花言葉は“夢 かなう”であることを伝えた。 
 5歳児の子どもたちは、その話を聞き「夢がかなうかも」と真剣に青いヒマワリを咲かせることを考えた。(1)青い水をあげる(2)青い光をあてる(3)毎日お世話をする、というプロジェクト活動となった。子どもたちの発想を実現するために、保育者も一緒に真剣に考えた。青い水はかき氷の蜜、青い光はブラックライト、そして子ども達の取り組みを写真で掲示し可視化していった。ヒマワリの成長を楽しみにしながら、小さな変化を見つけようと、毎日子ども達も保育者もワクドキ活動(わくわく、ドキドキする活動)をしていた。 
 残念なことに蕾からのぞいた花の色は黄色だった。しかし、花が開いたとき管状花がないことを発見した。「すごい、やっぱりこの青い種は、不思議な種だ」。残念がっている子ども達に、次のわくドキがやってきた。きっと、次々に“不思議”と出会った子ども達の心には、わくドキする心、科学する心が芽を出したはずだ。
 大人はなぜ種が青いかは分かっているが、保育者はすぐに現実を子どもに伝えるのではない。子どもが不思議と出会い、わくドキし、夢を描いた時、その夢に寄り添い、探究する姿につき合いながら、子どもの思いが少しでも叶うように援助やヒントを与える。子どもの“わくドキ”は心の揺れ、“なぜ”は活動の原動力であるからだ。 
 保育者は、子どもの感性や科学する心を育てると共に、将来大人になっても夢を追いかけられる人であるように、上手くいかないことがあっても、また歩き始め、夢を追いかけられる人であるようにと願いながら、子どもの心を受けとめ、そして寄り添っているのである。

みなさん データサイエンスを勉強しましょう 岩本隆志
[2022年12月14日]

掲載日:2022年12月14日
カテゴリ:ビジネス心理学科

近年、データサイエンスの応用分野は広がり続けています。金融分野ではフィンテックと呼ばれる改革が進み、スポーツの世界でも選手の練習メニューから戦術に至るまでデータを用いた分析がなされています。

データサイエンスを用いた業務の大まかな流れは、「データを用いて仮説を立て、検証すること」です。これだけ聞くとたいしたことがないように感じてしまうかもしれません。しかし、そこで得られる結果が人間のレベルをはるかに超えることが明確となってきたため、あらゆる企業がデータサイエンスを用いた業務を行うようになってきました。これまで理系分野とされてきたデータサイエンスの知識は、文理に関わりなく必要となりつつあります。

例えば、製品を販売する仕組みを作るマーケティングの分野のデータ分析について、Date Science Academyのコラム1)では以下のように示されています。


マーケティングの分野において分析としてなりやすいのは施策の効果があったのかというものがよくテーマになります。セールを実施して購買数は増えたのか、CMを流したことで利用者は増えたのかといったというテーマですね。...(中略)...しかし、本当に「セールやCM」に効果があったのかを検証するためには、その他のバイアスを除いて対象の施策の効果を検証しなければなりません。...(中略)...手に入るデータは様々な制約によりバイアスがかかっています。バイアスを除かずに分析を行ってしまうと効果検証を他の要因の影響により、結果が捻じ曲げられてしまうことが往々にして起こりえます。


このバイアス(偏り)を可視化して確認し、除去するためには、プログラミングの知識が必要となります。ですが、心配する必要はありません。データサイエンスで一番有名なプログラミング言語であるPython(パイソン)は、初心者にも非常に親しみやすく、コツさえつかめば誰でもプログラミングが可能なものです。

例えば、「顔認証のプログラムを作りたい」と思ったとき、他のプログラミング言語であれば数百行のプログラミングコードを記述する必要がありますが、Pythonでは、7・8行でできてしまいます。Pythonには、500を超えるさまざまなプログラムの集まりであるライブラリがあり、それを呼び出すだけで自由自在に複雑な処理ができてしまいます。このあたりが、Pythonを用いたプログラミングの楽しさなのかもしれません。 

2022年はもうすぐ終わりを迎えます。来年以降も変化が激しい時代が続くと思いますが、皆様もこの変化についていきましょう。 


 1)引用:https://data-science-academy.org/column/20220830/ D4c Academy KK 閲覧日2022年12月7日

農福学連携をとおして 大島珠子
[2022年11月24日]

掲載日:2022年11月24日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

みなさんは、農福連携をご存じですか?一般的には農業の人手不足と福祉の労働場所の確保をマッチングしたものと言われています。しかし、とても奥深く、農業分野で活躍することを通じて、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取組でもあります。

2019年にはノウフクJAS日本農林規格)が制定されました。ノウフクJASは「多様であること」に価値を見出します。農福連携商品の背景にある社会的価値を認めるこの規格によって、障がいの有無に関わらず、すべての人が自他の多様性を受け入れ、非均一性の中にある優しさや強さに価値を見出すひとつのきっかけとして、豊かな共生社会実現の一助となることが期待されています1

 学生時代に公衆衛生学をご指導いただいた先生から「おもしろいことやってるよ」と、先生が保健所長を務める地域の農福連携を紹介していただいたことが、私と農福との出会いでした。その地域は自殺対策をきっかけに地域の健康づくりとして先駆的に取り組まれていました。

農福の素晴らしいところは、農福連携をとおしてこれまで出会うことのなかった農家の方や林業、酪農など農林水産分野の方々とたくさん出会って輪が広がっていくところです。研究として一緒にノウフクJASを用いた商品開発、販路開拓をさせていただいている農家さんからは、「農福学連携だね」と大学も仲間に加えていただいた言葉を頂戴しました。自分の役割、居場所を作っていただき、とても嬉しかったことを覚えています。誰でも役割と居場所があることは大切なことです。これからも農福連携の研究を通じて、少しでも社会貢献につながればと思います。

1) https://noufuku.jp/know/jas/



就労継続支援A型事業所「杜の家ファーム」が取得したノウフクJASイチゴ「よつぼし」を用いたイチゴのパウンドケーキ

母と私と息子たち 目良宣子
[2022年10月3日]

掲載日:2022年10月3日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

子どものころ遊んだ川沿いの歩道で、「子ども叱るな来た道じゃ、年寄笑うな行く道じゃ」と記された看板に目が留まり、今でもふと思い出す。

子育ての頃は、命の危険が伴わない限り、警察のお世話にならない限り、叱ることなど何もないという信念をもって、家庭の中では笑顔を絶やさないように努めてきた。育児とは、『子どもを育てること』というよりも、育自=『自分育て』ではないかと感じてきた。

辛いことや苦しいこともあった。生後間もなくに生死をさまよった息子の闘病生活では、私が針の筵の上に立たされているようで、可能なら代わりたいと何度も思った。命が救われた代償に声を失った息子。顔はゆがんでいるのに、泣き声一つ聞こえない日々が半年以上も続いた。空腹なのか、おむつなのか、不快や痛みがあるのか何も分からず、いろいろ試しながら対応するしかなかった。介護休暇のような育児休暇が明けての職場復帰にも悩んだ。

 

そんな私の背中を押してくれたのは母だった。息子は奇跡的に声も回復し、中学3年生までの3度の大手術を乗り越えて成人を迎えた。夏にはパパとなり、ひ孫を抱っこしてもらうはずだったのに、あと4か月を待てず、母は4年前に80歳で旅立った。

私が子どもの頃、母はよく病気や事故で入院し、一時期、家族はバラバラに暮らしたこともあった。そんな幼少期や小・中学生時代を過ごしてきたが、私が共働きで奮闘しているときには比較的元気で、献身的に孫たちの面倒をみてくれた。天然で、我が家よりもご近所や友達を大事にし、いつも頭を下げてばかりいた母を疎ましく感じるときもあった。

私と息子たちでこんなやりとりがあった。「引っ越し8年目で初めてゴキブリが出た。実家じゃ普通やろうけど朝から気分が良くない。でもムカデよりましか」「ゴキブリは不衛生やけど臆病やからまだ対処できる。でもムカデが出たら冷静さを失うわ。おばあちゃんみたいに手づかみで駆除するのは無理やから」母の登場に思わず笑ってしまった。

孫たちには優しい母だったのに、そんなたくましさもあったのだと、娘である私も初めて知った。何気ないやりとりで、今は亡き母を偲ぶ。そして改めて、母は息子たちの心の中で確実に生きていると実感した。

 

地域には、様々な家族の形や歴史、生き様がある。対人サービスを担う私たち専門職は、他者への理解を深めるとともに、時には自身を振り返り、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

「地元」に伝え残したいもの 大木淳子
[2022年9月21日]

掲載日:2022年9月21日
カテゴリ:健康栄養学科

辛味とは基本五味(甘味、塩味、うま味、苦味、酸味)とは異なり、味覚ではなく刺激としての感覚になります。辛味は消化管も刺激しますので、おいしく食べられる辛さが一番だと思いますが、この刺激がくせになる人も多く、辛さを求めた商品や料理は、一部で根強い人気があります。ここで、辛さの代名詞でもある「唐辛子」の歴史について、私の地元の話をしたいと思います。

江戸時代、新宿周辺は唐辛子の産地でした。

内藤家の下屋敷であった現在の新宿御苑周辺では、唐辛子を含む野菜を栽培していました。江戸時代は蕎麦が大流行し、唐辛子は薬味として大変人気となり近隣の農家も唐辛子の生産をしました。収穫の時期になると一帯は真っ赤に染まったそうです。この「内藤とうがらし」は、ほどよい辛味を持つ八房系の唐辛子でした。しかし、江戸の町の繁栄によって人口が増加し、また唐辛子も辛味の強い「鷹の爪」が主流となり、内藤とうがらしは衰退しました。

しかしながら現代になって内藤とうがらしは「江戸東京野菜」として復活しました。2010年に地元の団体がこの唐辛子の栽培、普及を目指し、地道な活動を続けました。今では苗の販売や、内藤とうがらしを使った企業とのコラボ商品などを展開するまでになりました。私自身も地元のイベントでこの唐辛子を知り、苗を買って栽培したことがあります。8~9月頃には真っ赤で小ぶりな唐辛子がたくさん収穫できました。自宅で育てることのだいご味は、摘んだばかりのものを料理に使えることです。乾燥させて使用するのもよいのですが、摘みたてはフレッシュな辛味と、噛んだときの風味の広がりが格別です。

長い歴史の中で、私たちが普段食べるものは、安定供給できるものや、品種改良でよりおいしくなったものに取って代わり、それに該当しないものは市場から消えていくような淘汰が起こっています。一方で、今回の内藤とうがらしのように、時代を超えて復活し、地元の歴史を伝えてくれる食材として地域活性化に一役買った事例もあります。

自身が育った「地元」の食材に目を向けてみてください。食材を通して地元の歴史を伝え、これからの未来のことを考えられたら素敵ですね。


参考資料

新宿名物、復活!内藤とうがらしプロジェクト|公式サイト  https://naito-togarashi.tokyo/

プラットフォーマーと大学 西川英臣
[2022年8月1日]

掲載日:2022年8月1日
カテゴリ:地域マネジメント学科

皆さんはプラットフォームと聞かれて何を思い浮かべるでしょうか?

多くの人は鉄道の駅のプラットフォームを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

また、家庭用ゲーム機を思い浮かべるゲームが好きな人もいることでしょう。

現在のビジネスの世界では、「複数のユーザーグループや、消費者とプロデューサーの価値交換を円滑化するビジネスモデル」のことをプラットフォーム、このビジネスモデルを展開する企業のことをプラットフォーマーといいます。わかりやすく言えば、人と人、あるいは組織と組織をマッチングすることによって価値を作り出すようなビジネスのことです。

従来のビジネスは物を作って売ることを基本としていました。アメリカのゼネラルモーターズ、日本のトヨタ自動車をはじめとして、各国の20世紀を代表する企業の多くは「ものづくり」企業でした。

 しかしながら、現在のビジネスを代表する企業群であるGAFAは違います。GAFAとは、GoogleAppleFacebookAmazonの4つの企業のことをいいます。いずれも人と人、組織と組織を結びつけることによって世界的な企業にまで成長したプラットフォーマーです。

 その他にも他にも売りたい人と買いたい人をマッチングさせるメルカリ、泊めたい人と泊まりたい人をマッチングさせるAirbnb、寄付を集めたい人と寄付したい人をマッチングさせるCampfireなど、人と人をマッチングさせるビジネスは大きな注目を集めています。

 最近、これらのプラットフォーマーと大学は共通している部分があるように感じることが増えてきました。そう感じるのは、私の所属する地域マネジメント学科が、地域のことに興味がある学生と、地域に若い人の活力を取り込みたい自治体・企業・団体をマッチングさせることをミッションの一つとして、意識的に取り組んでいるためです。

 より広く捉えると、大学は人と人との出会い場であり、そして大学時代に得た友人や恩師、フィールドワークなどを通じて出会った人たちとの「つながり」は、その後の私たちの人生に大きな価値をもたらします。

 そうした「つながり」の価値をより意識的に伝え、様々な形で提供できることが現在の大学に求められているあり方の一つなのかもしれません。

 

参考文献

アレックス・モザド、ニコラス・L・ジョンソン(2018)藤原朝子訳『プラットフォーム革命:経済を支配するビジネスモデルはどう機能し、どう作られるのか』英知出版.

新たな教育県岡山に向けて 菅野昌史
[2022年7月21日]

掲載日:2022年7月21日
カテゴリ:地域マネジメント学科

今を去る150年前、1872(明治5)年8月、学制が発布された。国民国家を支える人材を養成すべく初等教育が開始され、満6歳になった男女はみな小学校に通うこととされた。そのため各地で小学校の開設が進められたが、多くはそれまであった寺小屋や私塾などの庶民教育機関を母体として成立した。誰もが教育を受けられるようになるこの政策は、一見すばらしいことであるが、各地で一揆が起こるほど反対も強かった。授業料に加え、学校の建設費までが国民の負担になったことや、貴重な働き手を学校に奪われることが、農業を営む家庭などにとって大きな痛手であったからである。

 

当然そうした反対は岡山県内でもあったと想像できるが、学制発布以来、県の就学率は全国平均を大きく上回っていた。日本初の庶民のための公立学校・閑谷学校を創立した地域であり、そうした教育を重んじる土壌が影響したのではないだろうか。

 

さて、それから150年後、戦後26回目の参院選が710日に実施された。選挙では各争点のほかに、若者の投票率も注目を集めていた。2015年の法改正で選挙年齢が18歳に引き下げられたが、今年4月成人年齢も同様に18歳となったことがその背景にあるだろう。では、結果はどうだったのか。総務省のまとめによると、10歳代の投票率は34.49%となり、前回から2.21ポイント上昇した。しかし、全体の投票率52.05%からは17.56ポイント下回り、選挙権年齢引き下げ後に実施された2016年の参院選以降では最も差が大きくなった。

 

岡山県について同様の最新データは見つけられなかったが、全体の投票率は前回を2.15ポイント上回るものの、全国平均に及ばず過去2番目に低い47.23%であった。また、県内の10 歳代のこれまでの投票率をみると、これも総じて全国平均を下回る傾向が続いている。こうした事態は、岡山県が「教育県岡山」という看板を掲げるのであれば、まずもって取組むべき課題のひとつといえるのではないだろうか。しかし、ピンチはチャンスともなりうる。大学と高校が連携して主権者教育により積極的に取り組むことで、若者の投票率を大幅に上昇させることができれば、教育県岡山の新たなイメージ発信にもつながるのではないだろうか。

 

[参考文献]

岡山市平井学区コミュニティ協議会平井郷土史編集委員会(編)(1994)「第4章 明治維新後の平井のあゆみ(昭和初期まで)6.教育」『ふるさと平井』pp.120-130

現場から得られる宝物 横溝功
[2022年6月8日]

掲載日:2022年6月8日
カテゴリ:地域マネジメント学科

 「地域マネジメント実習」がはじまって、今年度で3年目になります。各学生(3年生)が、前期に、企業、団体、官公庁に受け入れてもらって、現場で実習するという授業形態です。もちろん、当該実習の前後には、事前学習、事後学習を行い、問題意識の醸成、問題解決に向けた提案づくりを教員がサポートすることになります。実習の前後で、学生の成長には著しいものがあります。本当に、学生を受け入れてくださる多くの組織の皆様には、頭が下がる思いです。有り難いことと感謝いたしております。

 「百聞は一見に如かず」という諺があります。当該実習は、まさしく、この諺を体現したものといえます。ただし、ここで留意が必要です。単に見るだけでは、何も頭に残りません。何か引っかかるものを頭に残すためには、問題意識を持って見る必要があります。そのための事前学習ともいえます。

 さて、「セレンディピティ」という言葉があります。偶然の出会いによって、新しい宝物がもたらされることです。ニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見しました。「セレンディピティ」の代表的な事例として、このことをあげることができます。しかし、リンゴが木から落ちるのを見ても、問題意識がなければ、当たり前のことと見過ごされてしまいます。ニュートンに高邁な問題意識があったからこそ、リンゴの落下を見て、「万有引力の法則」にたどり着いたといえます。

 以上のことは、「地域マネジメント実習」にも当てはまります。問題意識を持って、当該実習に臨むことが肝要といえます。そのことによって、問題解決への一筋の光明という宝物を得ることにつながるのです。

 今年度も、各学生が、固定観念にとらわれず、若い発想で、問題の発見、問題解決に向けた提案づくりに、生き生きと取り組むことを楽しみにしています。

 

参考文献

伊丹敬之『場の論理とマネジメント』東洋経済新報社、2005

好感度はどう上げる? 藤田依久子
[2022年5月27日]

掲載日:2022年5月27日
カテゴリ:ビジネス心理学科

「夏と冬あなたはどちらが好きですか?」

「友達はたくさんいますか?」

「動物は好きですか?」

「パンケーキとパフェだとどちらが好きですか?」

「旅行は好きですか?」

「犬派ですか、それとも猫派ですか?」

 

これらの質問に回答するのに、どのくらいの時間がかかっただろうか。これは、カリフォルニア大学のウィンター教授が行った実験を模したものだ。被験者に対して、特に正解のない質問を次々に出して回答するまでの時間を測った。ここでは、熟考して時間がかかる人と、よく考えないですぐに答えを出す人がいることが分かった。さらに「幸福な人ほど答えを出す時間が短い」ことも明らかになった。

 

また心理学では「優柔不断な人よりも、決断の早い人の方が人間関係が円満である」というデータもある。例えば「お茶にしますかコーヒーにしますか?」と言われたとき、どちらでもよいので「コーヒー(またはお茶)をお願いします」と即答すると、相手に明るい印象を与え好感度が上がるのだ。

 

決断が遅い人は、細かい事にこだわる粘着気質の人が多い。心理学で言う粘着気質とは、後悔の念を強く持つ傾向があり、過去に縛られやすい性格を指す。逆に、何にでも即答する人は、物事に執着せず未来志向の人が多い。そのことを経験的に分かっているので、人は決断の早い人を「明るく善良な人間である」と判断するのだろう。

 

「どんな質問に対しても素早くポジティブに返答する」という習慣は、今日からすぐにでもできるし、あなたの人間関係を円滑にするだろう。

 

ではこのコラムの最後の質問を投げかける。

「心理学は好きですか?」

 

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母と私と息子たち 目良宣子[2022年10月3日]
「地元」に伝え残したいもの 大木淳子[2022年9月21日]
プラットフォーマーと大学 西川英臣[2022年8月1日]
新たな教育県岡山に向けて 菅野昌史[2022年7月21日]
現場から得られる宝物 横溝功[2022年6月8日]
好感度はどう上げる? 藤田依久子[2022年5月27日]