山陽リレーコラム「平井の丘から」
新たな教育県岡山に向けて 菅野昌史
今を去る150年前、1872(明治5)年8月、学制が発布された。国民国家を支える人材を養成すべく初等教育が開始され、満6歳になった男女はみな小学校に通うこととされた。そのため各地で小学校の開設が進められたが、多くはそれまであった寺小屋や私塾などの庶民教育機関を母体として成立した。誰もが教育を受けられるようになるこの政策は、一見すばらしいことであるが、各地で一揆が起こるほど反対も強かった。授業料に加え、学校の建設費までが国民の負担になったことや、貴重な働き手を学校に奪われることが、農業を営む家庭などにとって大きな痛手であったからである。
当然そうした反対は岡山県内でもあったと想像できるが、学制発布以来、県の就学率は全国平均を大きく上回っていた。日本初の庶民のための公立学校・閑谷学校を創立した地域であり、そうした教育を重んじる土壌が影響したのではないだろうか。
さて、それから150年後、戦後26回目の参院選が7月10日に実施された。選挙では各争点のほかに、若者の投票率も注目を集めていた。2015年の法改正で選挙年齢が18歳に引き下げられたが、今年4月成人年齢も同様に18歳となったことがその背景にあるだろう。では、結果はどうだったのか。総務省のまとめによると、10歳代の投票率は34.49%となり、前回から2.21ポイント上昇した。しかし、全体の投票率52.05%からは17.56ポイント下回り、選挙権年齢引き下げ後に実施された2016年の参院選以降では最も差が大きくなった。
岡山県について同様の最新データは見つけられなかったが、全体の投票率は前回を2.15ポイント上回るものの、全国平均に及ばず過去2番目に低い47.23%であった。また、県内の10 歳代のこれまでの投票率をみると、これも総じて全国平均を下回る傾向が続いている。こうした事態は、岡山県が「教育県岡山」という看板を掲げるのであれば、まずもって取組むべき課題のひとつといえるのではないだろうか。しかし、ピンチはチャンスともなりうる。大学と高校が連携して主権者教育により積極的に取り組むことで、若者の投票率を大幅に上昇させることができれば、教育県岡山の新たなイメージ発信にもつながるのではないだろうか。
[参考文献]
岡山市平井学区コミュニティ協議会平井郷土史編集委員会(編)(1994)「第4章 明治維新後の平井のあゆみ(昭和初期まで)6.教育」『ふるさと平井』pp.120-130