山陽リレーコラム「平井の丘から」

コロナ禍の中で  北岡宏章
[2020年6月30日]

掲載日:2020年6月30日
 昨年の末以来、新型コロナウイルスが世界中に大変な被害をもたらし、人々に不安や恐怖を与えている。6月末現在、日本では外出等の自粛はとりあえず解除されているが、収束にはまだ程遠い状況で、第二波の到来が懸念されている。人類にとって大変な災厄となった新型コロナウイルスであるが、その中に奇貨とすべきところなきにしもあらずである。「ステイ・ホーム」の呼びかけに従う中で、手持無沙汰な時間を用いて、多くの人が、これまで専門家と称する人々に任せっきりであった政治に注意を向けるようになった。また、家から出られない時の数少ない楽しみとして食事に関心を向ける人も増え、外食や買ってきた惣菜ですませるのではなく、自分の健康に真に必要な栄養素をよく考え、自炊を楽しむようになった。こうして、無理やり押し付けられた余暇を用いて、人々は今まで見過ごしてきたことや安易に習慣に委ねてきたことを見直し始めたのである。

 ここでJ.ピーパーの論(『余暇と祝祭』)を参考にしながら、「暇」ないし「余暇」(英語ではleisure、ドイツ語ではMuße)の意味を考えてみよう。ギリシア語の語源はscolēであり、学校を表すschoolやSchuleは語原の「余暇」との深いつながりをとどめている。アリストテレスの「余暇がものごとの要であり、すべてはそれを中心に回転している」との言葉に示されているように、古代ギリシアの考えでは、労働は余暇のためにあった。学校は本来、余暇を善用して世界を観想し、教養を身に付けるための場であり、知識や技術を詰め込むことに汲々とする場ではなかった。ピーパーによれば、キリスト教の精神生活の理想である「観想(contemplatio)」は、「日常生活のあらゆる心づかいや関心をはなれ、小さな自我を抜け出ることによって、世界をあるがままにながめ、その作り主にふれること」である。

 近代の産業社会は、労働と生産、そしてそのために行動することを何よりも重視する社会である。昨今、その進展のスピードはますます加速し、新奇なものや便利なものを次々と産み出し続けているが、その一方で資源を食いつぶし、地球環境を悪化させ、社会の格差をますます広げている。そしてその変化のスピードについていくために、多くの人々は膨大なストレスと疲労を抱え込んでいる。しかし、その渦中に巻き込まれている限り、そのこと自体を顧みる余裕はない。今回、外出自粛により無理やり与えられた閑暇の中で、今の世界がどうなっており、そこで我々がどのような生活を余儀なくされてきたのかを見直し、今後もこの方向を辿ることを本当に望むのかを改めて考えるきっかけとなるのであれば、コロナ禍のごくわずかの慰めとなるかもしれない。
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