山陽リレーコラム「平井の丘から」

弟に思いを馳せて 室谷実愛
[2024年8月24日]

掲載日:2024年8月24日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
私には、2人の弟がおりそのうちの1人に重症心身障害がある。身体的にも知能的にも重度の障害を持っており、全介助を必要としていた。
重症心身障害児のことでご尽力された糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」と言う言葉は、有名である。私の弟は、いわゆる「思春期危機」により、思春期以降、気管切開や胃ろう、感染症などでの入退院を繰り返していた。それでも弟は、取柄である「屈託のない笑顔」で、そしてそこに存在があることで、私たち家族に「生きる意味」を教え続けてくれていた家族の中心的存在であり、まさに「家族の光」だった。

7年前の夏、私が長女の育児休暇中に母から連絡があった。「弟が、ショートステイ先で心肺停止になり病院に運ばれた。」とのことであった。
突然のことで動揺が隠せなかったが、週末に会いに行くことしか出来なかった。当時、関西に住んでおり、島根までの道のりはいつもにも増して長く遠く感じた。病院に着き、病室に入るとベッドには目を閉じて寝ている弟の姿があった。「屈託のない笑顔」はそこにはなかったが、このままの姿で良いから「生きていて欲しい」と家族全員が願った。だが、その願いは儚くも届かず3週間後空へと旅立った。

旅立ちは、四国八十八か所遍路の御朱印の白装束を身にまとってであった。家族で四国遍路を回り作成した白装束で、両親が弟の死装束として私たちきょうだいに託したものだったが、両親の手でかけることとなったことにも無念さを痛感した。

後日、施設での録画映像を見ると、弟は座位になり顔を伏せていた。明らかに異常な状況であり、おそらくは心肺停止になっていた弟の前を何人もの人が通り過ぎて行ったが、声をかけることも気づくこともなかった。助けを自ら呼ぶことが出来ない弟は、どんなに苦しかっただろうか、どんなに無念で生きたいと願っていただろうかと思い、いたたまれない気持ちになった。薬剤注入の際にやっと気づかれることとなったが、もう少し早く気付いてもらえなかったのかと、家族として、同じ医療関係者として、残念な思いを抱いてしまうのである。

きょうだい3人、家族5人でこれからもずっと一緒に生きて行ける、仕事・育児が一段落してから両親に代わって弟の介護をしながらまた共に生きて行く未来はついえてしまった。言葉にはならない、後悔や無念さが深く心に刻まれている。

未来に希望を持ち、見据えて生きて行くことはもちろん大切である。だが、亡き弟に思いを馳せるとき、今しかできない事柄や経験、関係性も大切にして生きて行くことも必要だと痛感するのである。
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