山陽リレーコラム「平井の丘から」

不要不急の30年  田辺大藏 
[2020年7月16日]

掲載日:2020年7月16日
カテゴリ:言語文化学科
 狂言の本番に出演することも、もう少しで200回を数えようとしている。自らを「サザエさん狂言」と称し、一向に成長しないことを旨としている。しかし、狂言は学ぶものの年齢や技量によって、そのできる演目が限られる。認知度の低い芸能だが、いわゆるレディネスというものが存在するのである。大蔵流では、平物、内心物、本心物、小習、重習、極重習と分類される。重習、極重習には併せて六つの演目があるが、これは玄人でも一定の技量を積まないと上演の許しが出ない。しかし、その一つ下の小習のいくつかを演じることができているのだから、素人としてはよしとせねばならない。

 初心者ものから口伝で倣い、言葉、所作、小謡、小舞を少しずつ身につける。言葉一つとっても、発声方法から、発音、抑揚、強弱、緩急、間などを師の教えのとおり、オウム返しで反復する。稽古は無我無心でひたすら真似る。そして直される。学習者としては同じようにやっているつもりだが、何度やっても直される。どこがどうダメなのかは分からないが、あるとき急に許可が出る。千日修行ではないが、終えた者にしか見えない世界があり、そこから見たら、大きな差が見えるのだろうと一人で合点し、自らを納得させる。
 そんな自分ではあるが、小学校から高校、はてはプロの演劇集団から狂言教室の依頼を受けることがある。最も身体を動かすことに長けている高校生とて、私のただ立つ姿を自らの身体に転写できない。膝の曲げ方、腰の入れ方、背骨の伸ばし方、頸椎の角度など、重心の置き方から目線・指先まで、形にならない上に苦痛を伴うらしい。生まれたての仔馬のように、足をぷるぷるさせている。「舞台ではその格好で、長い演目だと一時間以上、立ち続けます」と言うと、悲鳴にも似た声を上げ、へたり込む女子生徒もいる。この立つだけの「構え」ができたとしても、当然、舞台を務めることはできない。その「構え」をしたまま、舞台上を歩行移動しなくてはならないからである。これを「運び」というが、場や演じる役柄によって微妙に違うのである。その一方で共通していることもある。頭部が前後、左右、上下にブレないことである。これらの視点をもって舞台を見るだけでも、きっと面白くなるはずである。

 実は、まだまだ狂言の奥は深い。例えば、劇中の言い回しや装束、所作や人間関係、構成など、知れば面白くなること請け合いである。しかし、狂言は新型コロナ感染の危険な三条件と言われる密閉、密集、密接のすべて満たしている。さらに、並外れた大きな声を出す。その上、不要不急の最たるものと誰もが認める。おかげで、この正月に舞台に立って以来、すべての上演が中止となった。
 しかし、中止になって気がついた。私の人生は不要不急で成り立っていたということを。そして、狂言のみならず、三密や不要不急のものにこそ、豊かな人生を紡ぐ要素が潜んでいるかもしれないということを。

コロナ禍の中で  北岡宏章
[2020年6月30日]

掲載日:2020年6月30日
 昨年の末以来、新型コロナウイルスが世界中に大変な被害をもたらし、人々に不安や恐怖を与えている。6月末現在、日本では外出等の自粛はとりあえず解除されているが、収束にはまだ程遠い状況で、第二波の到来が懸念されている。人類にとって大変な災厄となった新型コロナウイルスであるが、その中に奇貨とすべきところなきにしもあらずである。「ステイ・ホーム」の呼びかけに従う中で、手持無沙汰な時間を用いて、多くの人が、これまで専門家と称する人々に任せっきりであった政治に注意を向けるようになった。また、家から出られない時の数少ない楽しみとして食事に関心を向ける人も増え、外食や買ってきた惣菜ですませるのではなく、自分の健康に真に必要な栄養素をよく考え、自炊を楽しむようになった。こうして、無理やり押し付けられた余暇を用いて、人々は今まで見過ごしてきたことや安易に習慣に委ねてきたことを見直し始めたのである。

 ここでJ.ピーパーの論(『余暇と祝祭』)を参考にしながら、「暇」ないし「余暇」(英語ではleisure、ドイツ語ではMuße)の意味を考えてみよう。ギリシア語の語源はscolēであり、学校を表すschoolやSchuleは語原の「余暇」との深いつながりをとどめている。アリストテレスの「余暇がものごとの要であり、すべてはそれを中心に回転している」との言葉に示されているように、古代ギリシアの考えでは、労働は余暇のためにあった。学校は本来、余暇を善用して世界を観想し、教養を身に付けるための場であり、知識や技術を詰め込むことに汲々とする場ではなかった。ピーパーによれば、キリスト教の精神生活の理想である「観想(contemplatio)」は、「日常生活のあらゆる心づかいや関心をはなれ、小さな自我を抜け出ることによって、世界をあるがままにながめ、その作り主にふれること」である。

 近代の産業社会は、労働と生産、そしてそのために行動することを何よりも重視する社会である。昨今、その進展のスピードはますます加速し、新奇なものや便利なものを次々と産み出し続けているが、その一方で資源を食いつぶし、地球環境を悪化させ、社会の格差をますます広げている。そしてその変化のスピードについていくために、多くの人々は膨大なストレスと疲労を抱え込んでいる。しかし、その渦中に巻き込まれている限り、そのこと自体を顧みる余裕はない。今回、外出自粛により無理やり与えられた閑暇の中で、今の世界がどうなっており、そこで我々がどのような生活を余儀なくされてきたのかを見直し、今後もこの方向を辿ることを本当に望むのかを改めて考えるきっかけとなるのであれば、コロナ禍のごくわずかの慰めとなるかもしれない。

手段の目的化  荒木大治
[2020年4月3日]

掲載日:2020年4月3日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部
 以前勤めていた大学の初年時教育にて、教員にインタビューをして発表するというものがあった。質問内容は概要のみ事前に伝えられていた。その中で座右の銘は何ですか?という唐突な質問があった。座右の銘と言われすぐに出てくるものはなかった。
 大辞林には「常に自分の心にとどめておき、戒めや励ましとする言葉」とあった。いくつか候補になりそうな言葉は出てきたが、体験談や理由とともに明確に述べられるものはなかった。そもそもたった40年程度平凡に生きた私に、人生で大切だと思う格言を紡ぎ出すことはできない。

便宜的に私は次のように話し始めた。
 一週間考えたが、座右の銘のような大それたものは、未だ持ち合わせていない。人生の節々(学生のとき、看護師になったとき、大学院に行ったとき、結婚したとき、父を亡くしたとき)で大切だと感じたことはいくつかあったが、それも生きていく中で変化してきた。今回はそこからできた教育観を回答することで、座右の銘の代わりにしたい・・・(中略)
 学生は非常に淡々としており、何を小難しいことを話しているのだと訝しげな目で見ていたのを覚えている。

 看護師は、患者の生活背景や価値観についてしばしば聴く。病気を見るだけでは看護はできない。患者が入院しているのはほんの一時期であり、退院後は病気と折り合いを付けながらそれぞれの社会で生活をしていく。それゆえ、普段どんな生活を送っているのか、病気についてどう捉えているか、家族の協力体制等についても知ることが看護をする上で重要となる。

 学生の病院実習を指導していると、実習記録を埋めるために話を聞いていることがしばしば見受けられる。しっかり患者と話をするのはいいのだが、学生は目先の記録を仕上げることにとらわれ、その患者にとってそこまで重要ではない情報についてまで必死に収集している。学生は患者ではなく情報に心を寄せている。それゆえ非常に淡々としており、患者の気持ちを受けとめていない。もちろん課題をクリアすることは当然学生の目的ではあるのだが、それを第一の目的としてはいけない。目の前には病気と闘っている患者がいるのだ。情報は、看護に役立てないなら聞く意味がない。

 コミュニケーションの目的には大きく、情報の伝達、気持ちの共有の二つがある。前者については、情報を得ることの先に看護を行うという大きな目的がある。言い換えると、情報を得るのは看護をするための手段に過ぎない(図)。
 また、後者の気持ちの共有という意義においては、患者の話を傾聴する行為自体が看護ケアになりうるのだが、情報に集中しているような聴き方では、後者の目的であっても達成できない。

 相手に関心もって心を寄せて、話を聴かせていただく姿勢が大切だ。

 あのときインタビューを受けた学生には後日談をした。今や看護師になっているが立派に成長することを願っている。
 手段が目的化することは多々あるので、ときどき何が目的なのかに立ち返ることが大切である。

Hair Donation  那須明美
[2020年3月11日]

掲載日:2020年3月11日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 2019年12月24日、クリスマスイブに念願だったヘアドネーションをしました。ヘアドネーションとは、髪の毛を寄付することです。Japan Hair Donation & Charity(JHD&C) は、脱毛症や乏毛症、小児ガンなどの治療や外傷等、何らかの事情で「頭髪に悩みを抱える子どもたち」に、ヘアドネーションによる献髪のみで作ったメディカル・ウィッグを無償提供することで「社会性の回復」をサポートし、子どもたちの未来を守ることを目的として設立されました。このことを知ったのは、5年くらい前に、私の趣味であるZUMBAのインストラクターの先生からの紹介でした。長年、ロングヘアーが好きで、白衣の時はお団子ヘアにしたり、ZUMBAでは長い髪の動きも楽しみながら踊っていました。ヘアドネーションには、31cmあれば、カラー、パーマ、ブリーチヘアでもOK、軽く引っ張っただけで切れてしまうほどの極端なダメージがなければ大丈夫です。できる美容室は限られていて、私は、Siriで「近くの美容室でヘアドネーションできるお店教えて」と検索し、予約しました。充分楽しませていただいたこの髪が誰かの助けになると思うと、とても嬉しく誇らしくも思い美容室の席に着きました。

 JHD&Cでは、病気や事故で髪をなくしても、クラスメイトから奇異な目で見られることなく、これまでどおりつきあえる、そんな仲間や友達がいる学校。「髪がない」ことも個性として迎えられる、そんな多様性のある社会をめざして活動されています。ヘアドネーションを通じて、多様性を受け入れ、ともに生きることの大切さも改めて感じました。長い髪を切られる方、Hair Donationされてはいかがでしょう?

参考資料
Japan Hair Donation & Charity(JHD&C) https://www.jhdac.org/index.html

セルフ・エフィカシー  加藤由美
[2020年2月25日]

掲載日:2020年2月25日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 セルフ・エフィカシー(self-efficacy)って聞いたことありますか?

日本語では、自己効力感と訳されています。カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが社会的学習理論の概念として提唱しました。

 自己効力感とは、ある特定の成果を上げるために「自分はきっとできる」「できそうだ」という確信の気持ちを実感を伴って持っていたり、自分にはその能力があると認知している状態と定義されています。このポジティブな感覚が、自己効力感だといえます。

 この「明るく前向き」は、開発すべき大きな能力だといえます。自己効力感は、もともとの性格ではなく、自身の体験から育てていくことができます。バンデューラが述べた4つの要件について、お伝えします。

  1. 成功体験:何かをやり遂げた、成功した実体験(小さなことでいいから成功体験を積む)
  2. 他人の成功体験:他の人が成功した体験をじっくり観察すること(モデリング:お手本となる人(自分に近い人がいい)の動作や行動を真似して、その人と同じ結果を得る)
  3. 言葉がけや励まし:他の誰かにできると励まされること(先生やコーチ、先輩)
  4. 高揚感と想像:できると思える環境に身を置いたり、ありありと想像したりすること(気持ちが上がる音楽を聴く、自分と違う世界の人やモノに触れて、刺激を感じる)

 上記の4つ「小さな成功体験」「モデリング」「励まし」「想像」を毎日の生活に意識的に取り入れて、自身の自己効力感を高めてみませんか?

「睡眠のお話」  梅﨑みどり
[2020年2月5日]

掲載日:2020年2月5日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 すっきりとした目覚めは、1日のスタートを応援してくれます。そして、気持ちの良い睡眠は学習や作業効率のアップに繋がります。

 睡眠は年齢と共に変化するといわれており、睡眠時間は、新生児では1日16時間程ですが、成長するにしたがって減少します。夜間の睡眠時間は10代で約8.0時間、20代で7.0時間程度になり、40代で6.5時間、65歳では6.0時間と短くなります。睡眠によって、心と体の休息が得られ、記憶の整理やホルモンの調節、脳の老廃物の処理などがなされます。中年期以降には深い睡眠が減り、より浅い睡眠が増え、さらに高齢になると中途覚醒が増えます。そして、成人の約5人に1人が不眠の訴えを持っているともいわれています。

 厚生労働省の健康づくりのための睡眠指針20141)には、睡眠に関する基本的な考え方が示されています。勤労世代では日中の眠気が睡眠不足のサインでもあったりしますが、睡眠不足を感じて、ダラダラ眠ることや、就寝時間を早めることはむしろ逆効果になるそうです。

 心地よく入眠するための方法としては、昼間20~30分程度の軽いウォーキング、就寝時間を一定にする、就寝の約90分前のリラックスしたバスタイム、室温の調整、就寝の3時間前には携帯やパソコンの電源をOFFにする、ハーブティを飲むなど自分に合ったリラックス法をみつけることが良いようです。私は、首と肩の凝りが和らぐ枕を愛用しています。

 睡眠の質を高め、日々の暮らしを心豊かに過ごす方法を見つけてみませんか。

(引用文献)
1) 厚生労働省.健康づくりのための睡眠指針2014.[last access 2020 Jun 25].Available from: https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000047221.pdf.
画像:https://www.happy-semi.com/aroma/index.html

「ノーメディアデー」に想う  田村 裕子
[2020年1月17日]

掲載日:2020年1月17日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 2019年5月下旬に、世界保健機関 (WHO) により、インターネット依存の下位項目の1つである「ゲーム障害」が、正式に病気であると認められました。

 スマートフォンや携帯電話等インターネット接続機器の普及が進展し、長時間利用に伴う子供たちの生活習慣の乱れや心身への影響も気になるところです。これらへの対策の一つとして「ノーメディアデー」の取り組みがあります。

 子供たちについては、このような取り組みがなされていますが、大人についてみるとどうでしょうか?自分自身を振り返ってみますと、インターネットや携帯電話等、テレビも含めたこれらのメディアと触れない日はないのではないかと思います。依存とまではいかなくてもインターネットを使わない日は殆どなく、また、携帯やスマホが気にならない日もないように思います。これらは情報を得る手段として、また、コミュニケーションツールとしても非常に便利なものです。子供と違い、大人の場合は、仕事をする上でも、重要なものになっていると考えられます。

 私は、以前、停電になった日に、これらの機器の充電もできていなかった時、非常に不安になった経験があります。あまりにも便利になり、その事に慣れ過ぎて、これらに頼り切っている自分に気づいた日でした。不安になった反面、心と時間のゆとりの必要性も感じた日でもありました。子供たちだけではなく、大人の「ノーメディアデー」について、考えてみてもよいのではないでしょうか。

瞑想のすすめ!  揚野 裕紀子
[2019年12月17日]

掲載日:2019年12月17日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 皆さんは、最近『瞑想』が静かなブームになっていることをご存知ですか。番組のタイトルは覚えていないのですが、「施設に入所して生活をしている認知症の方に毎日、3分間の『瞑想』を実践してもらったところ、実践前と比べると認知の機能に改善が見られた。」と、いう内容でした。その後も、「海外の企業で、勤務の合間に短時間の『瞑想』を取り入れたことで、仕事の効率がアップした。」と、報道されたのです。そこで、研究論文などを検索する「医中誌」で、『瞑想』と検索すると、690件も関連する研究あり、実際に、医療現場や教育機関、企業の中、災害後の被災者への対応等々として実践されていました。

 脳は毎日の生活の中で絶えず働いていますが、少しの時間でも考えることをやめて瞑想することで、脳をリラックスさせ自分の内面と向き合うことができるのです。つまり、瞑想は、目を閉じ、姿勢を正し、呼吸を整え、集中して、リラックス状態を作ることで、(1)ストレスが軽減される、(2)集中力アップが期待できる、(3)ポジティブシンキングになれる、以上の3つの効果があるといわれています1)。

 瞑想は1分間でも効果があるといわれています。睡眠前の布団に入った時、ゆっくりとした呼吸を心掛け、息を4秒間でゆっくりと吸い込み、その後、8~14秒かけてゆっくり息を吐きます。この呼吸を1~3分続けましょう。私はそのまま熟睡しています。


参考資料
1)寝る前にできる瞑想のやり方,https://earthlab.tech-earth.net/meditation-before-sleep/
2)脳科学の最前線を行く—飛躍的に進む瞑想研究,https://www.nippon.com/ja/views/b06105/

ラジオのススメ  浅原 佳紀
[2019年11月22日]

掲載日:2019年11月22日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 私は自宅から大学までの片道約27kmの距離を自動車で通勤しています。朝晩の渋滞に巻き込まれ、1時間以上かかるこのストレスフルな時間、私を癒してくれるのは、車の中で聴くラジオです。私は高校生の頃から、ラジオを聴くことが大好きなのです。

 ラジオはテレビやインターネット動画などとは違って耳からの情報だけなので、何かをしながらでも聴くことができますし、ラジオの向こうで話している人がどんな表情で話してるのかな?などと想像力がかきたてられることも魅力です。そして、全然知らない人のはずなのに、ラジオのパーソナリティの人がすぐそこで自分に向かって話してくれているような、妙な親近感がわくことも魅力だと思っています。さらに私はよく番組宛てにメッセージを送るのですが、自分のメッセージが読まれた時には、よりラジオとつながった感覚になります。

 近年では様々な災害が起こり、その都度ライフラインが寸断され、大規模停電(ブラックアウト)や携帯電話の電波・通信網の麻痺などが起こり、情報が得られにくい状況になることが増えました。そのような時にラジオは重要な役割を発揮します。

 私は神戸で一人暮らしをしていた大学1年の時、阪神・淡路大震災で震度7を経験しました。地震直後ほとんどのライフラインが寸断されましたが、唯一情報を得ることができたのが、乾電池で動く携帯ラジオでした。通信網が混乱しても無線でどこでも受信できて、かつ自分の地域に根付いた情報を発信してくれるラジオは、災害時には欠かせない情報源となりうるのです。

 最近では防水タイプや手で回して充電できるようなタイプのラジオも売られています。皆さんも災害時の備えとしてラジオを買って、そして買ったついでに聴いてみて、たまにはラジオの世界に浸ってみてはいかがでしょうか。


画像出典:Amazon (SONY ポータブルラジオ ICF-B99)

ラグビー日本代表 「ワンチーム」の精神  井田 裕子
[2019年11月6日]

掲載日:2019年11月6日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 ラグビーワールドカップの日本代表の活躍が記憶に新しい。日本代表は予選リーグでロシア・サモア・スコットランドを破り3戦全勝で決勝トーナメント進出、史上初のベスト8進出を果たしました。準決勝で優勝候補の南アフリカに惨敗したものの、日本列島にラグビー旋風を巻き起こしました。日本代表のプレーに元気づけられた方も多いのではないでしょうか。皆さまご覧になりましたか? 私は学生時代、ラグビー部に所属していた(マネージャーです)こともあって、懐かしい気持ちもあり、関心高く試合を観戦しています。できることなら終わって欲しくないです、ワールドカップ。

 今大会、日本代表は「ワンチーム」といった目標を掲げ、ワールドカップに臨んだそうです。主力メンバーも、控えの選手もスタッフも観客も含めた全員で戦う、といった意味が込められているとのこと。

 先日、ラグビー関連の新聞記事に目を通してると、決勝リーグを前に、日本代表の控えの選手が表彰を受けた、という新聞記事をみつけました。というのも、控えの選手が対戦相手の分析を徹底的に行い、スクラムやパス回しなど対戦チームの癖やパターンを練習し、主力チームへ還元することで勝利を掴んだ、という功績が評価されたとのこと。これだけ結果を残してメディアに注目されているチームで、主力メンバーではなく、裏方の控えの選手の方が表彰されることって少ないのではないかなと思います。

 この日本代表という「ワンチーム」の精神が特別な力を生みだして史上初の決勝リーグ進出に繋がったのかもしれません。

 各地で災害が起こり、多くの方が支援を必要としている今この時に、日本全体が「ワンチーム」となり、この苦境を団結して乗り越えていくこと、そのために今自分に何ができるのか毎日の生活の中で考えていきたいと思います。


参考資料:朝日新聞 朝刊2019年10月10日

【手前:リーチ・マイケル主将】


子は親の鏡  塩谷 由加江
[2019年10月19日]

掲載日:2019年10月19日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 私は、4人のこどもがいる。性格は4人ともまったく違う。几帳面な子、天真爛漫な子、マイペースな子、破天荒な子。どの子も私にとっては本当にかわいい。けれど、どんなに愛情があっても子どもにイライラすることもある。子育て経験のある人は多かれ少なかれ誰しもが通る道ではないだろうか。子育ては、楽しい!と言いたいが楽しいことばかりではない。

 私は、いつも感じることがある。我が家は、私の余裕がなくなると子どもたちの喧嘩が増える。「子は親の鏡」とまさにその通りだと思う。私はいつも心がけていることが2つある。それは、子どもたちに「ありがとう」と言葉に出して伝えること。できるだけスキンシップをとって子どもと声を出して笑うことである。ある日、子どもたちと遊んでいるとき、私が大笑いをした。その時に長男が言った言葉が今でも忘れられない。「母さんが笑ったの久しぶりに見た!!」と。とても驚いたのと同時に日々の忙しさの中で余裕がなくなり心の底から笑うことができていなかった自分にグサリときた。子どもにとって身近な家族が「笑顔」でいることが幸せなのだと感じた。そして、子育てにイライラする時、子育てに行き詰まった時に、私はいつも読み返す本がある。ドロシー・ロー・ノルトらの著作である「子どもが育つ魔法の言葉」である。この本の中に「子は親の鏡」という詩がある。もし、子育てに行き詰まった時ぜひこの本を手にとってほしい。

 私は、この詩を読むと、子どもの未来のためにそういう親でありたいといつも願う。


【参考文献】
ドロシー・ロー・ノルト レイチャル・ハリス こどもが育つ魔法の言葉 研究所 2000年
子は親の鏡

アナログ時計の時空に想うこと  江口 瞳
[2019年9月30日]

掲載日:2019年9月30日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 多様な現代において、デジタル時計とアナログ時計のどちらを好むかといった問いは愚問かもしれない。このような中で、あえて、アナログ時計で味わう感覚について述べたい。

 以前に、それまで使用していたアナログ時計からデジタル時計に換えたことがある。しばらくして、デジタル時計が示す文字に刻々と追いかけられ、不思議な緊迫感を受け、そのうち、電池が切れてからは使用しなくなっていた。アナログ時計では、昼食時までにあと何分ある、今日の昼食は何にしようかと思いを巡らす、あれはいつだったかと過去にさかのぼる、時空の広がりさえある、アナログ時計ならではの感覚に思える。

 看護師は、患者の脈を測るのは日常的なことであり、アナログ時計が好ましい。アナログ時計により、患者の脈を数え、同時に脈拍のリズムや強弱、あるいは患者のその時の状態を観察し、何をすべきかを考えている、専門的な職業の世界がある。

 アナログ時計とデジタル時計をうまく使い分けている人も多いかも知れない。どちらかの時計の是非論でもない。

 豊かで、便利なこのデジタルな生活空間の中で、アナログ時計の世界に繰り広げられる感覚、時をふと止め、瞬間に想いを巡らす、この感覚を大切にしたい。

 姑からもらった、今は引き出しの中にある電池切れしたデジタル時計が、私のアナログ時計の世界で、大切に動いている。アナログ時計の中での感覚の広がりや奥深さを、心に余裕を持って刻みたいものである。


令和元年(2019年)9月吉日


生業をつくり直す  建井 順子
[2019年9月10日]

掲載日:2019年9月10日
カテゴリ:地域マネジメント学科

 私はこれまで生業を生み出す人々に焦点を当て、事業がどのように成長してきたのかを調査してきました。それらは、一般的にはほとんど知られていない、地方の企業経営者や事業代表者がほとんどです。しかし、そうした人々の人生には、私たちを魅了し、示唆を与えるものが少なくありません。ここでは、そうした例を一つ紹介しましょう。

 ご紹介するのは、福井県鯖江市出身の蒔絵師Aさんのこれまでの歩みです。蒔絵とは、漆工芸の一種で、漆で文字や絵などを描いたうえから金や銀を蒔くことによって装飾する技巧のことを言います。

 蒔絵師の家系に生まれたAさんは、後継者となるべく、他の地域の蒔絵師のもとで修業を積みました。しかし、修業を終えて故郷に帰ってくると、大衆消費の拡大を背景に、伝統的な技法は軽視され、商業的な技法が好まれる時代となっていました。そうした流れに納得できなかったAさんは、百貨店の実演販売や神社の骨董市など、本来蒔絵師が出ていくことはありえなかった場に積極的に出ていきます。そこでは消費者と直接対面するため、率直であるがゆえに傷つくような意見をたくさんもらいます。反面、そうした意見がヒントとなり、従来蒔絵が使われることのなかった製品に蒔絵を使うアイディアを得て、新たなマーケットを開拓していきます。

 現在、Aさんは東京に拠点を置いて蒔絵教室を運営する傍ら、海外のコーディネーターとつながることで、蒔絵の技巧を世界に広げようとしています。このようにAさんは、自分が持つ技能を核として、伝統的な生業を新たな形態のものにつくり直してきました。この例のように、第一線で活躍している経営者、事業代表者の方に共通しているのは、生業をつくり変えることを決して恐れず突き進む、強い姿勢なのです。


<参考文献>
建井順子(2015)『同床異夢-漆器産地の行方』東京大学社会科学研究所研究シリーズNo.58

イケアでの思い出  岩本 隆志
[2019年8月27日]

掲載日:2019年8月27日
カテゴリ:地域マネジメント学科

 数年前、家の家具もそろそろ古くなったので買い替えのため、妻の要望で、家族で神戸のポートアイランドにあるイケアに行ったことがある。イケアに入ると、まず、ホットドックやコーヒーが7・80円で売られていた。家具を買いに来たのに食事をすることに違和感を覚えたが、あまりの安さにまず、軽食をした。

 後で分かったことであるが、北欧では、まず、食事をして、準備万端にしてから、買い物をする文化があるそうである。次に、買い物に進むと、紙と鉛筆が用意されていて、それを持って、気に入った商品の商品番号を記入するというルールとなっている。

 決まった順路に沿って一方通行に進むと、どの商品も目を見張る価格設定であり、何より驚いたことが、店員は一切客に対して、声掛けはしないし、家具には、「どんどん触れてください。」と書いてある。何故か分からないが、気分が楽しくなって来た事を覚えている。

 小物類は、そのままショッピングカートに入れて、気に入って購入する家具は、商品番号をメモした。最後に、家具はどこで購入するかシステムが分からずにいると、倉庫のようなゾーンに行きついた。もしかしたらと思ったが、そこで、客が品出し作業(ピッキング作業)を行うのである。

 そこで何故イケアが低価格で家具を提供できるのかが見えてきた。商品はフラットパックという規格のサイズに収まるようになっている。車のトランクにちょうど収まるサイズである。何もかもが計算されていることに感銘を受け、後に論文にまとめ学会発表までしてしまった。妻の要望で家具を買いに行ったことが新たな発見につながった。これからも妻には頭が上がらない。

3歳までは母の手で?  権田 あずさ
[2019年7月26日]

掲載日:2019年7月26日
カテゴリ:こども育成学科

「ワンオペも 逆手に取れば ひとりじめ」

 これは、金融のオリックスグループが毎年企画している「働くパパママ川柳」で2018年に大賞を取った川柳です。さて、この川柳を詠んだのはパパとママのどちらでしょうか?

 「ワンオペ」とは、「ワンオペレーション(one operation)」の略で、「1人ですべての作業を行うこと」という意味の和製英語です。主に、飲食店で1人しか店員がいない状態を指す言葉として使用されていますが、最近では、何らかの理由で1人で仕事と家事と育児のすべてをこなさなければならない状態を指す言葉としても使われています。そして、多くの場合「ワンオペ」しているのは母親です。

 日本では「3歳までは母の手で」という「3歳児神話」が根強いですが、男性(父親)やその親世代だけでなく、女性(母親)自身が育児は自分の責任だと考えている場合も少なくありません。

 確かに、生物学的に妊娠・出産が可能なのは女性だけです。しかし、女性だから子育てが得意なわけではありません。子どものほうも必ずしも母親を求めているとは限りません。子どもが健全に育つには、自分のことを大切に想ってくれる人が必要なのであって、それが母親でなければならないということではありません。そして、子どもは様々な人とのつながりの中で育っていきます。母親は、あくまでもそのつながりの中の1つなのです。

 先の川柳のように、大変な状況をポジティブに捉えられることはとても大切なことですが、我が子のかわいさや子育ての辛さをひとりじめせず、どうか周りの人たちと分かち合ってもらえたらと思います。


【参考】
オリックス働くパパママ川柳 https://www.asahi.com/ads/orix-senryu/vol2/result.html
根ヶ山光一・柏木惠子(2010). ヒトの子育ての進化と文化  アロマザリングの役割を考える. 有斐閣.
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いよいよオープンキャンパスが始まります  岡田 典子
[2019年6月18日]

掲載日:2019年6月18日
カテゴリ:こども育成学科

 6月のある週末、早朝に車を走らせていると、同じ体操服を着てヘルメットをかぶり自転車に乗った男子中学生の列に出会いました。

 20人位だったでしょうか。その列のなかにブカブカで真っ白な体操服が初々しい生徒が数人、先導する上級生から遅れまいと前を睨み力強くペダルを漕ぐ姿がありました。「入部して初めて練習試合に行くのかな。」などと、一人あれこれ想像しながら、彼らの無事と健闘を祈りました。そして、保護者や先生方もきっと同じ気持ちで彼らを送り出したことだろうと、思い巡らせました。

 目の前の中学生の姿と重なって、ふとオープンキャンパスの体験授業の光景が目に浮かびました。

 教員や在学生の話に熱心に耳を傾けておられる方、「山陽学園で学びたい」と決めて何度も参加される方、緊張した面持ちで質問に来られる方、そして、親ならではの視点から子どもたちをサポートしようと保護者の方々が毎年数多く参加してくださいます。在学生も、授業での学びの成果を発表したり、「自分達の経験が役に立つのであれば」と学生生活の体験談を語ってくれたりします。

 教育に携わる者として、本学に入学して学びを積み重ね、夢を実現されることを願うと同時に、改めて自らの役割と責任の重さを感じました。

 いよいよ、本学でも今年度のオープンキャンパスが始まります。

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幼児教育学科の体験授業の様子

「ぼたもち」の思い出  廣田 幸子
[2019年6月5日]

掲載日:2019年6月5日
カテゴリ:健康栄養学科

 岡山に来て約2ヶ月が経ちました。先日、家の近くのスーパーマーケットに行って気がついたことがあります。惣菜売り場に「ぼたもち」がないことを、、、

 私の故郷、福岡県の筑豊地方では、総菜売り場に1年中、ぼたもちが並んでいます。筑豊地区はかつて、石炭の産地でした。その石炭を採掘すると捨石(ぼた)とよばれる石が発生します。その捨石が山のように積み上がった山を「ぼた山」と呼び、ぼた山は、故郷の風景でもあります。炭鉱の仕事は重労働なので、甘いお菓子が必要だったことと、故郷のぼた山よりぼたもちを好んだのでしょう。

 その「ぼたもち」には同じ食べ物であって、食べる季節によって呼び分けられている「おはぎ」があります。春の彼岸の頃に咲く牡丹の花より「牡丹餅=ぼたもち」、秋の彼岸の頃に咲く萩の花より「お萩=おはぎ」、日本には四季があるからこそ、その季節に咲く花の名前がつくなんて素敵ですね。

 また、ぼたもちに欠かせない食材として、小豆があります。小豆は日本古来の食べ物として親しまれ、その食べ方には赤飯や小豆飯、餡などがあります。その赤飯や小豆飯の飯は、赤く色づきます。その赤く色づいた飯には、小豆の種子に含まれるアントシアニンなどのフラボノイドが結合しています。現在、私は、飯に結合した小豆フラボノイドが飯でんぷんの消化を抑制できることをテーマに、研究を行っています。研究で使用する小豆を見ると、祖母が作ってくれた粒あんのぼたもちが食べたくなります。

食品ロスについて考える  國本あゆみ
[2019年5月30日]

掲載日:2019年5月30日
カテゴリ:健康栄養学科

 スーパーでつい買いすぎたり、食事を作りすぎたりして、食べきれず捨ててしまうことはありませんか?

 まだ食べられるにもかかわらず捨てられる食品を「食品ロス」と言います。日本では、「食品ロス」が、年間643万トン(平成28年度推計)も発生しています。世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料援助量(平成26年で年間約320万トン)の約2倍に相当します。また、日本人1人当たりに換算すると、「お茶碗約1杯分(約136g)」の食べ物が毎日捨てられている計算となります。

 このような食品ロス削減に向けて、期限間近の商品、規格外の商品を無償で提供し、福祉施設等へ寄付するフードバンクの活動など、国を挙げて様々な活動が行われています。また、コンビニエンスストアでは、消費期限の近づいた弁当などの購入をすることでポイントが付き、実質の値引きにつながるなど食品ロス削減に向けて取り組みが始まります。

 食物栄養学科では、学生が主体となり「地域を学んでのこさずたべよう」という岡山県の事業に携わらせていただいています。昨年度は和気町、今年度は真庭市で食品ロス削減の食育活動を行います。次世代を担う子どもたちに、「もったいない」の気持ちを育み、食品ロス削減の輪を広げたいと考えています。

 食品ロスの約半分291万トンは、家庭からです。私も日ごろから「もったいない」の気持ちを忘れず、できることから食品ロスの削減を実践していきたいと思います。

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写真:和気町での食育の様子


【参考】
消費者庁ホームページ

岡山県「地域を学んでのこさずたべよう事業」ホームページ

なんとなくエコ  西村 武司
[2019年5月7日]

掲載日:2019年5月7日
カテゴリ:地域マネジメント学科
 みなさんはエコを意識して生活していますか?

 私はたまにエコを意識しています。普段,あまりエアコンを使いません。外食のときは,食べ残すほど注文しません。たまに有機野菜を選びます。ゴミは分別して捨てています。しかし,いつも必ずそうするといった強い信念に基づいて行動しているわけではありません。ときにはエコに反する行動をすることもあります。

 暑い夏には冷房を使いますし,寒い冬には暖房を使います。そうしなければ,健康によくないと言い訳をしつつです。実際,暑さや寒さを我慢することは,おそらく健康によくないでしょう。一方,研究室を不在にするときに電気をつけっぱなしにしておくことがあります。この後,再び戻ってくるということを来訪者に示したいときもありますし,ただスイッチを操作するのが面倒なときもあります。

 ここ10年くらい,私はパソコンの電源を切っていません。その間に新しく買ったパソコンは,一度も電源を切っていないことになります。これらの行動はエコに反するかもしれません。もしかしたら,反しないかもしれません。技術進歩が過去の常識を覆すことはよくあります。

 ところで,有機野菜を食べることはエコでしょうか? 昨年,有機農業は,慣行農業と比較して,地球環境にやさしくないという研究成果が発表され,話題になりました。有機農業では,単位面積あたりの収穫量が著しく減少することが主な理由です。しかし,こうした指摘はさほど新しいものではありません。例えば,地産地消は環境にやさしいでしょうか? 興味のある方は,文末の松永さんの著書を手に取ってみてください。

 単純なように見えて単純ではないのが,この世の中です。しかし,深く考え込んでしまうと,ストレスになりますし,何も行動できなくなります。なんとなくエコな生活をなんとなく送って,なんとなくいいことした気分でいられるのが幸せかもしれません。ただ,それでいいですか?


松永和紀『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』日本評論社,2010年。

虐待について考えてみましょう  荒島 礼子
[2019年4月16日]

掲載日:2019年4月16日
カテゴリ:こども育成学科

 近年、児童虐待が後を絶たず、大きなニュースとなっています。政府においても、児童虐待防止法の強化が叫ばれているところです。

 さて、私が保育現場にいたとき、1つの虐待事例を認めました。3歳のAちゃんの指に丸いやけどの跡があったのです。私はAちゃんを抱っこして「ここどうしたの?」と聞くと「たばこで焼いた。」と答えました。「誰がしたの?」と聞くとAちゃんは答えません。どのくらい時間がたったでしょうか「お父ちゃんがした。」と答えました。私はその答えを予想はしていたものの、大きな衝撃を受けました。私は、Aちゃんの手をさすりながら「熱かったね、痛かったね。」と言いました。するとAちゃんは「でも私泣かんかったよ。」と言ったのです。「痛かったら痛い、熱かったら熱い、お父ちゃんやめてって言わんといけんよ。」そういうのが精いっぱいの私でした。

 役所の保健師に連絡を入れると、すぐに児童相談所含む多くの関係者が集まって会議がもたれました。そしてその後児童相談所の依頼を受け、児童民生委員会議で事例報告をしました。それはちょうど虐待防止法ができた年の事でした。

 今私は、幼児教育を学ぶ学生にこの事例を伝えながら、子どもの人権についての授業を実施しています。又、大学でも『sanyo子育て愛ねっと』として子育て支援事業に取り組んでいます。

 社会全体で、虐待防止について真剣に考えていかなければならないと強く思っています。

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桜の花々とともに  学長 齊藤 育子
[2019年4月10日]

掲載日:2019年4月10日

 本学の東門前の桜が、満開になっています。今年は例年より少し遅めだったように思いますが、咲き始めた頃に入学された新入生の皆さんもオリエンテーション期間が終わり、授業が開始されました。「入学式と桜」といったように、皆さまも桜の花にまつわる多くの想い出がそれぞれにございましょう。私は、山梨県甲府市にあるミッション系の短期大学に、教育原理等を担当する教職課程の専任教員として、1985(昭和60)年に着任いたしました。その山梨での8年間の暮らしのなかで、忘れられない場所があります。それは旧北巨摩郡長坂町(北杜市)の清春芸術村(Kiyoharu Art Colony)です。

 この芸術村は、もともと廃校になった清春小学校の跡地に建築されたのですが、子どもたちの手によって校庭に植えられたソメイヨシノが多数あり、それが実に美しいのです。敷地の中央には、「ラ・リューシュ」(La Ruche)と呼ばれる十六角形の建物があります。これは、芸術家たちの創作活動ができるアトリエなのですが、希望者に貸し出されています。このラ・リューシュは、パリにあるものと同じ設計図で建てられたとのことです。この広大な芸術村の敷地の中に、清春白樺美術館もあります。そこでは、武者小路実篤や志賀直哉等々の「白樺派」の書画や・原稿・近代洋画などが蒐集され展示されています。

 さらに、敷地内には小さな会堂がひっそりと建てられており、誰でも祈りの時が持てるようになっています。「ルオー礼拝堂」と名付けられた会堂は、宗教画家ジョルジュ・ルオーを記念して建てられたのですが、祭壇背後には、十字架のキリスト像があります。その像は、次女イザベル・ルオーによって寄付されたとのことですが、ルオー自身が彩色し、彼が毎日祈りを捧げていたそのものとのことです。そのほかにも、移築された梅原龍三郎のアトリエなどの施設もあります。この芸術村は、東京吉井画廊の吉井長三が、私財を投じて作られたといわれています。

 きっと誰も知らないことですが、静寂だったこの場所で、当時の私は、自己を見つめる時を持っていました。人は皆誰でも、どうしようもなく辛いこと悲しいことに立ち向かわなければならないことがありますが、自己を静かに顧みるには、静かな時間と空間が是非とも必要ではないでしょうか。桜の花が咲くたびに、私は甲斐駒ケ岳の山々を背景に咲く美しい桜の花々とともに、ラ・リュージュそして、自己と対峙したあの「静寂な時・空間」を思い出します。いくつになっても、ソクラテスの力説した「善く生きること(to eu zēn)」を目指し続けたいものです。

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〈本学の東門前の桜〉

春を感じる桜餅  松井 佳津子
[2019年3月30日]

掲載日:2019年3月30日
カテゴリ:健康栄養学科

 朝晩はまだ肌寒さはあるものの、草木が萌え芽ぐみ次第に春の訪れを感じる季節となりました。桜の花の開花が待ち遠しいですね。 そんな桜の葉を使った和菓子で、色と香りで春を感じさせてくれる「桜餅」があります。桜の葉で餅を包む工夫は江戸時代に発案されたそうです。この桜餅、2種類あることはご存知でしょうか?「桜餅」と言われて思い浮かべるのは、住んでいる地域によって異なります。 もち米を一度蒸して、乾燥させて粗く砕いた道明寺粉を使って作る「道明寺」。道明寺粉を蒸して餡を包んでいるため、お米の食感が残りつぶつぶとした皮が特徴です。「上方風の桜餅」「関西風の桜餅」といわれ、岡山に住む私たちが食べ親しんでいる桜餅です。

 一方、「長命寺」といわれる桜餅もあります。「江戸風の桜餅」「関東風の桜餅」ともいわれていますが、こちらは皮の材料に小麦粉が使われています。小麦粉に水を混ぜて薄く焼いた皮で餡を包んでいます。「長命寺」と呼ばれる由来は諸説あるようですが、江戸時代、東京の隅田川沿いに長命寺では、川沿いの桜の木から落ちる葉の掃除に日々頭を悩ませていました。そこで、桜の葉を塩漬けにし、それにお餅を包んだのが始まりだとか。長命寺というお寺で初めて作られたことからこの名前がついたそうです。

 関西風と関東風の桜餅に共通しているのが、餅を包んでいる「塩漬けの桜の葉」の存在です。桜の葉で包むことで、特徴ある香り付けやお餅の乾燥を防ぐ効果があります。この葉を食べるのか食べないのかと議論されることもあるが、正式な食べ方は決まっていないようです。

 昨年の5月、私は学内の桜の葉を摘み取り塩漬けにして保存しています。約一年がたち塩漬けされた桜の葉も、そろそろ出番だと感じているかもしれません。

 山陽学園の桜の葉のお味はいかがでしょうかね。美味しい桜餅に変身することを願いつつ、心を込めて作りたいと思います。


食物栄養学科 松井佳津子

岡山の美味しい魚と気候変動(地球温暖化)  白井 信雄
[2019年3月28日]

掲載日:2019年3月28日
カテゴリ:地域マネジメント学科

 岡山で食べる魚は美味しい。穴子(あなご)、蝦蛄(しゃこ)、飯蛸(いいだこ)、鰆(さわら)、そして飯借(ままかり)という別名で知られる鯯(さっぱ)。どれも岡山の漁港で水揚げされ、岡山らしい食文化に貢献してきた。

 しかし、瀬戸内での穴子や蝦蛄、飯蛸等の水揚げの減少が著しい。現在の瀬戸内海の水質は改善されているとはいえ、かつての汚染物質が底泥(これを漁師さんは“ヌマ”という)に蓄積しているためという声もある。

 水がきれいになりすぎて、プランクトンが減り、生態系に影響を与えている可能性もある。加えて、気候変動(地球温暖化)の影響もある。例えば、鰈(かれい)が減っているが、鰈は高温を好まないことも一因であろう。

 一方、気候変動で増えている魚もある。例えば、鱧(はも)。鱧は水温が高い所を好む。鱧が増えて、その食害が穴子等の減少の原因ではないかという説もある。京都の初夏の食として、人気にある鱧であるが、日生で獲られた鱧が港に持ち帰えられることはない。地元の鱧の流通経路ができていないからである。

 近接する徳島や淡路島では取れた鱧をブランド化し、京都等に流通させている。日生でも鱧の流通を確保し、稼ぎを得ていくという道を描くことができる。消費者側から日生の鱧を食べる活動をしていくことも、日生の漁師や漁村、そして海を守ることになる。

 山陽学園大学では、新設の地域マネジメント学部の他に、食品開発ができる先輩学部がある。学内で連携して、鱧料理の開発と普及を図り、瀬戸内の海の魚とそれを稼ぎとする人々、地域の文化と自然を守ることに貢献することができればと感じている。

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写真:日生の海、気候変動でこの景色はどうなるか

甘いものすきですか ~ 和菓子のすすめ  小野 和夫
[2019年3月15日]

掲載日:2019年3月15日
カテゴリ:健康栄養学科

 ある調査では、「甘いものが好きですか」という問い対し、回答者の74%が「好き」と答え、「嫌い」と答えた人はわずかに2%でした。残りは「どちらでもない」です。甘味は動物種を問わず広く好まれることが知られていますが、人もまた甘味を好むことを示す結果です。また、10歳代や20歳代の若年世代の方が30歳代以上より甘味嗜好が高いことも示されました*。

 さて、砂糖を使用する菓子類はまさに「甘いもの」ですが、ショートケーキなどの洋生菓子系と和生菓子系では好まれ方に差があることも明らかになっています*。20歳前後の男女大学生を対象に各種菓子類に対する好き嫌いの割合を現在と過去(小学生の頃、中学生の頃)について主観的に自己申告してもらった結果、85%が洋生菓子を「好き」と答え、その嗜好は過去から変っていませんでした。一方、餡入り和菓子について現在「好き」との回答は56%ですが、過去(37%)と比べて増加しています。小学生の頃は嫌いであったが、中学生頃から好きになるという傾向が見られ、女子学生により顕著でした。砂糖と脂質を多く含む洋菓子系の甘味食品に比べると、その多くが小豆餡を使用している和生菓子は子どもにはあまり好かれないようです。大人になり和生菓子の食感や風味などに馴染んだことに加えて、低カロリーでポリフェノールなどの機能性成分を多く含むことも「好き」の割合が増加させる理由かもしれません。

 砂糖が遣唐使により日本に初めてもたらされた当時は大変な貴重品であり、薬用として使われました。その後の砂糖の普及は、和菓子を生み出し、日本の食文化として定着させることに大きく貢献しました。和菓子には「その季節だけにつくられる和菓子」と「季節を表現する和菓子」のふたつがあります。適度の砂糖の摂取は、知的活動の活発化や気分の改善に効果が認められています。季節を映す和菓子と抹茶でリフレッシュされてはいかがでしょうか。
                     
(食物栄養学科 小野和夫)

                                        
*砂糖百科 p.124~126 社団法人糖業協会 (2003)

受験シーズンの思い出  田中 愛子
[2019年2月28日]

掲載日:2019年2月28日
カテゴリ:看護学研究科・助産学専攻科・看護学部

 現在受験シーズン真っ只中で、受験生の皆さんは合格発表まで緊張と不安の中を過ごしているかもしれません。看護師・保健師・助産師国家試験も2月が受験シーズンで、つい先日今年度の試験が終了しました。

 受験と言えば、お正月の初もうで等で合格祈願をすることと思います。私も、高校受験から大学受験、看護師国家試験の受験など様々な受験で合格祈願を行いました。私の出身県には、学問の神様・天満宮の総本社『太宰府天満宮』があります。もちろん、私の今までの合格祈願も太宰府天満宮で行い、最近は看護師・保健師国家試験を受ける学生さんの合格祈願を行うことにしています。

 太宰府天満宮は、菅原道真公の御神霊をお祀りしている神社です。道真公は、幼少期から学問の才能を発揮し、学者としての最高位である文章博士となった方です。しかし、壮年期に政略により京都から太宰府へ左遷されることになりました。京都を離れる際に詠まれた有名な和歌があります。

『東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』
(春風が吹いたら、香りをその風に託して太宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。

 主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。)

 この和歌にあるように、道真公は梅をこよなく愛しており、太宰府をはじめ天満宮は梅の社紋となっています。太宰府天満宮は梅の花もたくさん植えられており、春が近づいてくると赤や白のかわいい梅の花を見ることができます。現在はなかなか梅の季節に太宰府へ行くことができませんが、岡山で梅の花を見ても太宰府天満宮と受験でドキドキしたことを思い出し、懐かしく思います。地元を離れて10年以上経ちますが、地元を思い出せるものがあるとほっとできます。

 最後に・・・山陽学園大学の学生さんをはじめ、全国の受験生の皆さんにわくわくするような春が訪れますように!

参考:太宰府天満宮HP http://student.dazaifutenmangu.or.jp/ 
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