山陽リレーコラム「平井の丘から」
岡山におけるイギリス連邦占領軍の記憶 菊池泰平[2026年7月16日]
掲載日:2026年7月16日
カテゴリ:言語文化学科
戦後81年を迎える今、貴志俊彦氏(ノートルダム清心女子大学)の著書『イギリス連邦占領軍と岡山:戦後直後の<幻の国際社会>』を通じて、終戦直後の岡山における知られざる歴史に触れました。
占領軍といえばアメリカ軍を想起しがちですが、当時のアメリカ軍は人材・財政面から展開規模をすぐに縮小せざるを得ませんでした。それに代わり、武装解除や治安維持などの実務を担うため中国地方に入ったのが、イギリス連邦占領軍です。1946年初頭から各地の部隊が呉市などを経て展開し、同年6月から1949年2月までの約2年半、岡山にも駐屯しました。
この軍の最大の特徴は「多民族・多文化」の寄せ集めであった点です。全3万7,021人の兵士のうち、英領インド軍が36.2%、オーストラリア軍が32.2%、イギリス軍が19.6%、ニュージーランド軍が12.0%を占めていました。岡山市に司令部を置いた英印師団には、ネパール中部の諸山岳民族で構成される「グルカ・ライフルズ」や、第30イギリス野戦砲中隊、第429インド野戦中隊などが駐留したそうです。例えば、旧陸軍飛行場跡(現・岡南飛行場付近)でメッカに向けて跪拝するイスラム教徒たち、街を行き交うターバン姿の兵士、軍事技術競技会に臨むオーストラリア兵などの姿が記録に残されています。
また、1946年8月15日には、イギリス連邦軍主催で対日戦勝記念日(VJデー)が開催されました。日本人の国民感情を逆なでしないよう、岡山、呉、鳥取を除く地域では「戦勝」を打ち出したイベントは控えられ「終戦」や「再建」が謳われた一方で、岡山市では大々的な軍事パレードが決行されました。現市役所そばの大供(だいく)交差点や大雲寺付近に集結した部隊は、柳川筋を抜け、かつての岡山県師範学校女子部(現・市立岡山中央中学校)へと行進し、上空ではイギリス空軍機が編隊飛行のパフォーマンスを披露しました。
しかし、1947年10月末に全英印師団が撤退してオーストラリア軍第34歩兵旅団と交代し、最後まで残ったニュージーランド軍も1949年2月までには撤退しました。同時にイギリス、インド、オーストラリアなどの海外メディアも「OKAYAMA」への関心を失い、約2年半に及んだ多文化交差の「国際社会」は幻のごとく消え去ったと結ばれています。
現在、私たちは言語や文化の多様性について多くを学びますが、80年近く前の身近な地域に、これほど国際色豊かな空間が存在したことに驚かされます。足元の歴史を深く紐解くことは、現代を生きる私たちに思いがけない発見を与えてくれるのかもしれません。
<参考文献>
貴志俊彦(2025)『イギリス連邦占領軍と岡山:戦後直後の<幻の国際社会>』岡山:日本文教出版株式会社.
※同書の内容は、RSK山陽放送の記事とニュース動画でも簡潔に紹介されていておすすめです。
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